生まれるということ

 

街で小さな赤ちゃんを見かけた。
きっとまだ生まれて数ヶ月の、首も座っていない赤ちゃん。

その愛くるしさに胸がきゅんとしながらちっちゃな赤ちゃんを見つめていたら、ごく自然に、おかえり、という気持ちが沸いた。また生まれてきてくれてありがとう、と。

人の一生で、生まれてくることほど大変なことはないんじゃないかと私は思う。いくつもの奇跡を経て身体を持ち、いざ外の世界へ出てくる時の苦しみと言ったら。

相当な難産でなかなか出てこられなかった娘がやっと生まれた時、私も辛かったけれど、出てくる本人はきっとそれ以上に大変な思いをしたのだろうと思った。「生まれる時頭をつかまれて痛かった。だから生まれた時頭ボッサボサだったでしょ?」なんて娘は言っていたけれど。

そうして生まれたらしばらくは、身体の自由も言葉の自由もないまま、生きることの全てを周りの人に委ねなくてはならない。お腹が空いたと泣いても、抱いて欲しいと叫んでも、母親がすぐに来てくれるとは限らない。動けるようになったら今度は、親の不注意で高いところから落ちて痛い思いをしたり、理不尽に叱られたり、散々な目にあうかもしれない。娘のように。

身体を持たない安らぎの中で過ごして来て、また肉体を持ってこの世に降りてくるというのは、どんな心境だろう。

重い身体をまとって、また痛みや孤独や絶望を味わうかもしれないのに、肉体を持つが故の苦しみを経験するかもしれないのに、それでも生まれることを私達は選択してきた。

そう思うと、目の前にいる我が子や小さな赤ちゃん達は、強い勇気を持って、意を決して生まれてきてくれたんだなと思わずにはいられない。深い尊敬の念さえ抱いてしまう。ついこの間までは、身体を持たない魂として私達を見守ってくれる存在だったのに。

そんな可愛い子供達だって、いつか、深い痛みや、やりきれない孤独と絶望を知る時が来るかもしれないと思うと胸が苦しくなる。

そうなった時に、何がしてあげられるのだろうと思ったら、

人はやっぱり、愛の力で歩いていけるんだろうなって思った。

私達は、愛を知るために、生まれてきた。

近くの人にも、遠くの人にも、ASKAさんにも、想っていれば、きっと届くから。

全てが、上手くいきますように。

いつの日か生まれて来る私達が、
もっと愛に近づけますように。