6年後のnot at all
4月のその日は、この時期にしては暑いくらいの陽気だった。自粛生活が続き、スーパーとドラッグストアと公園ぐらいしか行くことのない毎日。
リビングから上の部屋へ行こうと階段を数段登ったところで急に、胸が締め付けられるせつなさのようなものが前触れもなく込み上げた。
これは一体なんだろう?
しばらく立ち止まって、まもなく思い当たった。
昨日、あの公園に子供と行ったんだった。
6年前の5月17日、ASKAさんのニュースを聞くことになる直前に、娘とブランコを揺らしていた公園。あの日も夏のような陽気だった。
公園でお友達とけらけら笑いながら遊んだ後、家族で昼食を取りに入ったお店のテレビでニュース速報を聞き、言葉を失った。
前日行った時は、そんなこと何も思い出していなかったのに。
季節を感じることも忘れてしまうくらい代わり映えのない日々を送っているのに、こんな風に、またあの日がやって来ることを思い出すなんて。
毎年この時期になると、あの出来事を思い出す瞬間がやってくる。
衝撃的であったし、悲しかったし、何よりASKAさんはどこまで遠くに行ってしまったのだろうというやり場のない気持ちが日々膨らんで、今思うとどうしてそんなにっていうくらい涙が枯れなかった。
もうあれから6年も経ったんだ。
今、ここに立って思うことは、出来事のディテールは、もはやすっかり重要なことではないということ。
だけれど私の心のありようは、その出来事によって以前とは異なる様になったということ。
全ての起きたことは、私にとって必要なものであったということ。
あの時私達は、どんな想いであの出来事をくぐり抜けていったのだろう。
ふと気になってきて、一度読んだきりほとんど読み返すことのなかった、第一巻と第二巻・第三巻を少しずつ読み返してみることにした。
書籍になった第一巻を読んだ時の当時の感想は、正直に言えば、純粋な読書体験として決して心地良いものではなかった。
書籍として世に出すことが、ASKAさん自身のために必要な行いであり、意義があるということを理解できたことが、唯一の救いだった。
当初この第一巻のブログをネットで読んだ時、気になる言葉があった。
「今、振り返れば、私はあの日逮捕されてよかったのだと思っている。」と綴る一方で、
「しかし、すべてを失ってしまったこの状況下では、さすがに感謝という言葉はまだ使えない自分がどこかにいる。」
そうASKAさんは吐露していた。
今はまだそういう心境なのか。その気持ちはこれから変化していくのだろうか。
ASKAさんの新しい歩みを応援しながらも、そのことがずっとどこかで気になっていた。
アルバムToo Many Peopleリリース時のインタビューでASKAさんは、音楽をできること、そして仲間への感謝を言葉にしていた。
事件そのものが今のASKAさんにとってどういう意味を持つのか、聞いてみたいと思った。
アルバムリリースまでの道のりは険しくて、今思い返してもどうしてと思うような出来事が起きた。もうASKAさんに会えないのかもしれないと思う時もあった。
それでもASKAさんは再び、ステージに戻ってきてくれた。
あれらの出来事は、ASKAさんにとってどんな意味をもたらしたのだろう。
ASKAさんは今、どんな想いで歌に向かっているのだろう。
変わらぬ姿で歌うASKAさんを見届けながら、そんなことを考えた。
そして去年の年末、ASKAさんがインタビューでこのように語っている記事をふいに見つけた。
「自分の起こしてしまった事実は、変えられない。ただ、あの経験があったからこそ、見える景色が新鮮に感じられる」
この言葉は、離れたところから眺めている人にとっては、もしかしたら誤解の生まれる表現なのかもしれない。
でも私にとっては、あの第一巻でのASKAさんの言葉を目にしてからずっと気にかかっていた私にとっては、この言葉が聞けて、そのような想いでいることを知ることが出来て、本当に嬉しかった。
そして願わくば、ASKAさんの大切な人達にとっても、あの出来事が意味を見出せるものであってほしい、そうなっていてほしいと心から思った。
あの出来事があったからこそ、得られたもの。
私にとってのそれは、つまるところ、"すべては自分"であり、"愛に近づくman and woman"だということ。
それらを得難い体験を持って学ぶことが出来たということ。
あの出来事がなかったら、私はきっとASKAさんの生み出す楽曲のほんの少しも感じることが出来ないまま、聴いた気になって過ごしていたのだと思う。
ASKAさんとその出来事や楽曲を通じて、自分の内面を見つめるという行いにもきっと至らなかったと思う。
その経験をするのは私であったかもしれない。私と他者の境界線を超えて、物事を見つめ、感じるということ。出来事ひとつひとつが、それを私に教えてくれる機会となった。
この季節は、きっと毎年そんなことを考える。
そして私はnot at allを聴きながら、少しずつ違って見えてくる景色を感じ取りながら、これからも同じことを思う。
おかえりなさい
歌い続けてくれて、ありがとう