在るものになく ないものに在る

2018年11月5日。
ASKAさんの復帰後初となるコンサートの日。

今振り返ると、この時の私は、遠くで眺めている人だったと思う。

正確には、関心を持っているけれど、熱量が決定的に不足していた。



その日、国際フォーラムに到着すると、ものすごい数のカメラと報道が入っていて驚いた。

会場のあちこちでインタビューを受けている人達がいて、いかに注目を集めている出来事なのかを感じた。


席に着くと、静かながらも高まる観客の期待が伝わってきた。

最後にASKAさんのコンサートを観たのもこの会場だった。
2013年1月のROCKETツアー。

長く待ち望んだこの日をやっと迎えたのに、何故私はこんなに冷静な気持ちでここに座っているのだろうと思いながら開演を待った。


指揮者の藤原いくろうさんが登場し、オーケストラでの演奏が始まる。
On Your Markだ。

大好きな曲。ASKAさんの新たなスタートにふさわしいと思った。

しばらくすると、会場のあちこちから鼻をすする音が聞こえてきた。

私は、どうしてそんなに鼻をすすっているのだろう、ああそうか、もう冬も近いしみんな風邪をひいているのか、と思った。

…しばらくして、そんなわけがないと気が付いた。

感極まって泣いているんだ。

そうだよね、みんなこの日が来るのをずっと待っていたんだから。

私もここで同じ想いを共有しているはずだったのに、自分の温度が相当ずれていることに愕然とした。


ASKAさんがステージに現れた。
変わらない、いつものあの姿だ。

一曲目はまさかの熱風。
全く予想していなかった選曲にえぇーっ。と声を上げそうになった。でもさすが、ASKAさんだなと思った。


そして次の曲。
ピアノのメロディが流れてきて、
(あ、このイントロ聴いたことある)と思った。

そしてすぐにはっとした。
これはMan and Womanじゃないか。

聴いたことがある、どころではない。

ASKAさんがこれまでに生み出した楽曲の中で一番好きな曲はと聞かれたら、きっとこの曲を答えるくらい、私にとって大切な曲。

私はこの歌を空まで持っていくと決めているくらい、ずっとそばにいてほしい曲。

それなのに、一瞬でも分からなかったとは。

心の焦点をうまく合わせられない自分にまた茫然として、ぼんやりと歌を聴いていた。


変化は2番に入って訪れた。

「街の色を奪いながら過ぎる雨も~」あたりから、全身が震えだす感覚が私の中に湧き上がり、そのフレーズに向かって何かが込み上げてくるのを感じた。


「在るものになく ないものに在る」


ここで、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

私の意思とは関係なく、勝手に流れ出ている。
これはなんの涙だろう?わからない。


確かに、この歌のそのフレーズについて、ずっと考えていた時があった。

物事の対比について。
それらは対立する存在のようでいて、互いを含んでいるということ。
一方があるからこそ、もう一方が存在するということ。

あの出来事があったからこそ、得られた気付きがあった。

でもそれは、今この状態の自分がここで涙を流す理由としてはあまり説得力がないような気がした。

悲しみでも切なさでもなく、感動とも異なる。
これまでの何かが込み上げてきたというものでもない。

ただ細胞が何かを記憶していて、それを私の意思とは別のところで思い出して涙が出てしまったような、そんな感覚がしていた。



この曲の後、私はまた冷静な私に戻って、終演を迎えた。

同じ出口に行けたと感じたのは、12月の国際フォーラムを経て、翌年3月の静岡公演の時のこと。

色んな要素が相まってあの場所でASKAさんの歌を聴いて、全てが溶け出し涙色に染まったライブだった。



そして、今年。

自粛の毎日の中、ASKAさんの過去のライブ映像が公開されたのを知り、真っ先にこのコンサートを観た。初めて観る映像。

Man and Womanで流れた涙の正体がなんだったのか、もう一度探ってみたかった。


何度もこの曲を観ているうちに、昔受けたヒプノセラピーのことをふと思い出した。

あの時の涙は、このセラピーを受けた時に流れた涙に似ている気がする、と思った。



その出会いは今でも鮮明に覚えている。

2006年7月号の会報で、ASKAさんが「前世療法」という本について語っていた。

精神科の医師が、ある患者との出会いを通じて、前世があることを偶然知ってしまったという話。

ハワイに行く数日前にASKAさんがその本を読んで、現地でメンバーと朝まで語り合い、「来世もよろしく」と握手を交わしたというエピソードが書かれていた。


私は強く興味を惹かれて、すぐにブライアン・ワイス博士のこの著書を読んだ。

トラウマを抱える患者が、退行催眠療法によって過去生を思い出し、それにより現世での恐怖症が消えていったということが書かれていた。

私達はみな、この生において学ぶべきことを持って生まれてくること。

それを果たすまで、次の人生にそれを持ち越すことになるということ。

魂は永遠であること。肉体を持っている間だけ学べることがあるということ。

あっという間に読み終えて、私は自分の前世について知りたくなった。


その後、たまたま会う予定のあった友人にこの本の話をしたら、ヒプノセラピー(退行療法)をやっている知人がいるので紹介してくれるという。

早々にセッションの予約をしてセラピストの元を訪ねると、書棚にワイス博士の本がたくさん並んでいた。

博士から直接トレーニングを受けたと聞いて、縁があったのかもしれないと思った。


セラピストと話し、その時の私なりの課題をセッションのテーマに決める。

催眠が始まり、私は意識の階段を深く下りながら、一つの過去生にたどり着いた。

今生での私の課題を解決するために、必要な場面を思い出しているということを理解できた。

思い出しながら、涙がとめどなく溢れてくる。
ただ思い出しているだけなのになぜだろうと思った。

セラピストがこの人生における学びは何でしたかと問いかける。私はもっとこうすべきだったということを話しながら、涙が止まらなかった。


3時間のセッションはあっという間に終了した。

とてもすっきりとした気分で、私が今生きるこの人生において、解決しなければならないことが一つクリアになったという感覚を得た。

後日、別の日にセッションを受けた友人とこの体験について話しをしたところ、彼女も同じように過去生を思い出しながら涙が止まらなかったという。

あの湧き上がってくる感情はなんだろうね、不思議だねと話した。


私はその7年後にもう一度、ヒプノセラピーを受けた。その時の体験はより強烈で鮮明なものとなった。

私にとって必要な学びを深い感情と共に体験し、その時も同じように涙が止まらなかった。



前世療法に書かれていることは、私にとってごく自然に受け入れられる内容だった。

この本に出会い、実際に体験し学びを得られたことは、私にとってかけがえのない経験だ。

それにより私は自分にとっての困難を受け入れ、道を見出すことができた。
ASKAさんの出来事も、あるがままを受け入れ、学びを深めることができた。

ASKAさんを通じて前世療法に出会えたことに、何度感謝したか分からない。

私たちが今ここに生きる意味や、目に見えない大切なものを、年月をかけて理解する手助けをしてくれた。
そしてそこにはいつも、ASKAさんの歌が寄り添ってくれた。



そんな色々をひとしきり思い出して、再びMan and Womanを聴いてみた。

聴いているうちに、ふと湧いた疑問。



この歌は一体、いつから存在していたのだろう?



「選んではくりかえす いつの日か生まれてくる 自分のために」



そうASKAさんが歌い上げるこの歌に私は永遠を感じていたけれど、それは今ここから未来に向かって続いていくだけではなくて、もしかしたらずっと前から続いてきたことなのかもしれない。

私は、私の知らない何かを知っているのではないか?

私はあの涙に、何を思い出したのだろう。



生まれる前に、学ぶべきことを自分で決めてきているならば、何故それを忘れて生まれてきてしまうのだろう。

覚えていられたら、ずっと楽なのに。

そんなパラドックスについて時折考えては、やっぱりそれでいいのかもしれないと思う。


探し続けることが、歩く理由。
きっとそう。



「在るものになく ないものに在る 夢は次を見てる」



忘れてしまった遠い約束事があるならば、思い出してみたい。