伝わってきたこと
朝はここ数年ずっとテレビ朝日な我が家だけど、今朝は久々に、めざましテレビを観てみることにした。
テレビをつけるとちょうどASKAさんのニュースをやっていて、昨日の放送を福岡で観た人30人に、尿とお茶をすり替えた理由について納得できるかとアンケートしたところ、納得出来ると回答したのは1割だった、と紹介していた。
そんなに少ないんだ、へぇー、とちょっと驚いた。でも考えてみれば一緒にいる夫だって、色々なことが腑に落ちていない様子だし、このことについて話をした人も、そんな感じだった。世間の反応は、それが普通なのかなと思った。
確かに、これまでを振り返ると、結果的に本当ではないこともあったし、それを裏切りと取る人もいたと思う。信じるかと迫られたら、本当のところは誰にも分からない。
でも私は、分からないことは知らなくてもいいと思う。それよりも、これは間違いなく本物だと伝わってくるものを大切にしたい。ASKAさんの後悔の気持ち、全てを必要なことだったと受け入れ前を向いて歩き出している姿、失うことのない音楽への情熱。昨日のASKAさんの姿に、私はこれらを確かに感じ取った。それだけで、充分だと思った。
と書いて、夫の所感にそうだよねぇと言っていた自分とのバランスを取ってみる。書くということは、自分と自分をとりまく物事との距離を確かめること。本当にそうだな。
ASKAさんもきっと、距離感を確かめながら、少しずつ前へ進んでいくのだろうな。
ASKAさんの想いが、歌が、伝わっていきますように。
ASKA CONCERT TOUR 2009 WALK
過去のライブDVD、何があったかなと取り出して眺めていて、気付いたことがあった。
どのライブをどこの会場で観て、どんなエピソードがあったかをすらすら思い出せるのに、WALKツアーだけは、全く記憶がない。DVDも、ほとんど観たことがなかった。なんでだろう。
気になってチケットを探してみたら、大宮、仙台、NHKホール2回と、4公演も参加していた。仙台まで行ってたなんて、全く思い出せなかったし、シューティングライブにも参加していたなんて、すっかり忘れていた。
何故4回も行ったのだろうとしばし考え、そうだ、このツアーは解散報道からの無期限活動休止を発表した後のツアーだったから、ASKAさんがどんな言葉を発するのか、ただならぬ関心があったんだという解に至り、
いざ行ってみたら、ASKAさんは「アイツが全部悪いんです」なんておちゃらけてたんだった。喋りが絶好調で、これはDVDに一体どう収録されるのかしらと思っていたらバッサリ切られていて、残念なの半分、まぁそれもそうだよねと思ったの半分だったことを思い出した。
でも肝心のライブのことを、ちっとも思い出せないので、久々に観てみることにした。
観ているうちに、そうだこの曲の前にキックス君が出てきたなとか、帰宅のエピソードを聴いて、この曲が大好きになったんだった、と記憶が蘇ってきた。
そうして後半、ASKAさんがだんだん声を振り絞るように歌っている姿に、見ている私まで、呼吸が浅くなってきた。
そうだった。私はここで、祈るような気持ちで、心の中で声援を送り続けていたんだった。たくさんのお客さんと一緒に。
そこには、何も寄せ付けない気迫と魂だけが存在しているようだった。でも、澤近さんがASKAさんに送る眼差しにはいつも以上に気持ちが込められている気がしたし、メンバーの熱い演奏から、ASKAさんへの気がこれでもかというくらい伝わってくる気がした。
パフォーマンスとしては不本意だったかもしれない。けれどここに確かに流れていたであろう気や念というものを想像すると、本当、また泣けてしまう。
色んなところをくぐりぬけて来たんだなぁ。ASKAさんも、私達も。
それぞれの人にとっての様々な想いや苦悩があって、それは時に姿かたちを変えて心を曇らせることがあったかもしれない。でもそれらを経て、今また共有出来る景色があるというのは、幸せなことだなと思う。
クロスワンって、言ってみようかな。
なんて、ライブ後の余韻に浸りながら思ってみたりした。
緊張と解放
朝から、月が近付けば少しはましだろうを何度も聴いていたら、何だか切ない気持ち満載になって、Man and Womanが無性に恋しくなってしまった。
久々にDOUBLEのPVを取り出して観て聴いて、もうその安堵感にものすごい泣けた。どんな感情に苛まれたとしても、この曲が全てを包み込んでくれる気がする。本当、私はこの曲を空まで持っていきたい。
何故か朝から号泣してしまったけど、慣れない場所に預けられた子供が不安な時間を過ごしていたところに、戻ってきた母親の顔が目に入って、思わずうわーーんって泣いちゃう感じ。その子供の気持ちが、良く分かった気がした。
音楽は緊張と解放。
そうか、これもそういうことなんだ。
この変化に、感情が揺さぶられるんだ。
見回してみると、色々なことにこの対比がある。スポーツも、思考や表現も、人生も。
緊張と解放を、いかに効果的にちりばめて、なおかつ自然に成り立たせるか。その解放を味わうために、何度も体験したくなるか。
というプロフェッショナルなんだな、ASKAさんは。
気付くと期待が高まっていて、でもその期待はなかなか達成されなくて、待って待って、最後にやっと満たされる。
アルバムを手にする時の安堵感はどのくらいだろう。
PRIDE
ずっと気になっていた昔の会報のASKAさんのコメントがあって、探してみた。2007年の会報だった。
その記事では、何故PRIDEのような曲が、女性にも支持されるのかということについて、ASKAさんが推測していた。一つは、女性もこの曲に出て来る気持ちを持っているだろうということ。もう一つは、女性には、自分の愛する人や身内をそばで見ている感覚があるからということ。
このコメントの後に、「このASKAの言葉を読んで、大きく頷いている女性がたくさんいることだろう。」
と綴られているのだけど、私はここを読んだ時、大きく首を傾げていたんだよなぁ。
確かにそういう側面もあるかもしれないけれど、私にとっては、本当に共感しているのはそこではないような。でもそれは一体何だろう?
時折思い出しては、ぼんやり考えながら歌を聴いていたのだけど、そうか、それからもう10年近く経っていたんだ。少しぼんやりしすぎたかな。
PRIDEも、月が近付けば少しはましだろうも、ライブで聴くと、その迫力と魂の込もった歌唱にただただ圧倒されて涙が出てしまう。その瞬間には、自分の体験や身近な人への想いはない、と思う。
なんだろうなぁ、と考えてみる。
そうすると、出て来るのは、やっぱり、
ASKAさんの、伝えられなかった事たちは、どんな悲しみをもたらしたのだろう。
とか、
拭きとれるはずの言葉たちは、行き場を失くしてどこへいってしまったのだろう。
沈黙の裏には、どれだけの涙の跡があるのだろう。
ということ。
一人歩きする誤解は、どこまでひとりで受け入れらるのだろう。
伝わらない想いを前に、どれほどの痛みを感じるのだろう。
やりきれないほどの孤独は、どの位ひとりで抱えきれるのだろう。
歌にすることで、歌うことで、ASKAさんは、その苦しみを少しばかり浄化出来るのだろうか。
そうであってほしい。
この追体験と、祈りの気持ちが、共鳴に繋がってゆく。
そんな気がしてきた。
祈りが、届きますように。
シンフォニックコンサート
good timeが好きすぎて、過去のLive DVDのこの曲だけを順番に観ていった。
GOOD TIMEツアー、My Game Is ASKA、シンフォニック、WALK とほぼ毎回歌われていて、ASKAさんにとって大切な一曲なんだなと今更ながらに実感すると同時に、何故今までこの曲の素晴らしさに気付かなかったのだろうと思う。
聴けば聴くほど、この曲はラブソングを超越しているなと思う。でも何がそう感じさせるのだろう。普遍的な、何か。そして美しく隅々まで目が行き届いているような感触が伝わってくる。
各ツアーのgood timeを順番に聴いていくと、楽器やアレンジの違いで印象が随分違う。なかでも、シンフォニックでのパフォーマンスが素晴らしすぎて泣けちゃう。
オーケストラもASKAさんのボーカルも、とても美しく、お互いを見事に引き立て合っている。ASKAさんは本当に気持ち良さそうに歌っているな。そして木管楽器ってこんなに哀愁漂う音色を出すんだな。
SYMPHONIC CONCERT TOUR 2008、久々に観て感動して結局全部観てしまった。
年代もバックグラウンドも様々な人達が、一つのところに向かってASKAさんの音楽を奏でている。そこにはどんな想念が生まれていたのだろう。
このツアー、東京公演は平日で行けなかったので、はるばる真駒内まで行ったんだった。2008年の11月。よく行ったなぁ。
この日、アンコールの時だったか、ASKAさんが突然、
「時間がないっ」
と言って巻きモードに入り、えっ?と驚いた。夫と二人、「じ、時間がないって…?!」と顔を見合わせた。
見知らぬ土地でほんの少し心細くなった、真駒内での思い出。今でも私達の語り草。
2005年のシンフォニックは、国際フォーラムで参加して、これも素晴らしかった。この会場、とても好き。ASKAさんの緊張感が伝わってきたなぁ。
このコンサートの時に、5,000円のASKAさん特大ポスターを買ったものの、巨大過ぎて貼る場所がなくて、たまに取り出してきゃー♡なんて言ってたような。あれ、みんなどうしたんだろう。
X1
FUKUOKAではASKAさんの変わらない歌声と美しいメロディーに魅了され、
さてX1はどんな曲なのだろうと、どきどきしながら歌詞に目を通してみた。
第一印象は、あれ?意外なほどに、ストレートな言葉。のように思える。
そして曲を聴いてみると、語り口調のメロディーが静かに展開していく。
何も見ずに聴いた夫が、最初に口にした感想はやはり歌詞のことだった。
なんだろうね、いや歌詞全体が壮大な比喩かもしれないよなんて話をした。
クロスワン。
と言ってみたけど、なかなか、まだしっくりこないな。
何度か聴いて、その後はまたSCENE IIIのループに戻っていった。
でもふと気付くと、このメロディーを口ずさんでいる。
そういえば、短いピアノのイントロが印象的だ。
音源を聴きながら、ピアノでイントロを弾いてみた。そのままメロディーも。
起伏の少ないメロディーが繰り返していく感じ、だったのだけど、
「それだけは、これだけは」
のところに来て、おや?となって止まってしまった。
なに、このたまらなく切ない感じ。
もう一回聴いてみる。
これだけは、のところ。
泣けちゃう。ていうか涙出ちゃった、どうして。
和音が、変わったんだ。
この和音はなんだろうって、私にはすぐに分からなくて、色々弾いてみた。
ここだけ、何回再生したかしら。
そして何度もピアノで弾いてみる。
切なすぎるー。
メロディーの波が淡々と繰り返していく中で、不意に予想外の波が来て足元をすくわれて、感情を激しく揺さぶられた、という感じ。
一度揺さぶられたら、その切なさがずーっと、曲全体に染み渡って聴こえてくる。
メロディーの繰り返しが、フレーズの繰り返しが、ここでいきてくるんだなぁ。
もう、ミクロで泣けて、今はこれでお腹いっぱい。時間が経てばまたきっと色んなことが聴こえてくるかな。
でも不思議。
この泣けたというのは、歌への共感やそこからの連想などとは切り離された、純粋に音楽的な要素からくるもの。
和音の変化で、何故感情が揺さぶられるのだろう。その時、心や身体では、何が起きているのだろう。
音楽のふしぎ。
ニューアルバム、楽しみだー。
言葉
言葉は、誰もが使えるものだけれど
上手く使いこなすのは難しい
音を出すだけなら出来ても
美しく奏でるのは難しい楽器のよう
ASKAさんの紡ぐ言葉が好き
愛を、誰もが知っていて
誰も使わない言葉で表現する
巧みな比喩で私達の想像力を駆り立て
物事の対比を鮮やかに描く
きっと考え抜かれた一言も
はじめからそこにいたかのように佇んでいる
でも、本当の素晴らしさは、レトリックだけではない
言葉は、投げかけた問いや思考、想い、
そして真の体験の結果だとしたら
私達の心が動かされるのは、ASKAさんの言葉から、
それらを深く、何度もくぐり抜けてきたことが伝わってくるから
その言葉が、ASKAさんの体温を持った
ASKAさんだけの言葉だと感じることが出来るから
そしてその言葉の、私達が気付いていなかった
深いところにある愛やせつなさに共鳴するから
心の芯から湧き出る言葉を、ありがとう