園だより
カトリック系の幼稚園に通う娘が持ち帰った、園だよりに書かれていた神父様の言葉。
人間関係には「できる」ことで結ばれたものと、「である」ことで結ばれたものがあり、例えば会社での人間関係は、その人が何かを「できる」人であることを基本にしている。その人が病気やけがで何もできなくなってしまえば、同じ関係を続けることは難しくなる。
一方、家族の関係は、その人がその人「である」ことに基づいていて、その人が自分の子どもだから、親だから、兄弟姉妹だから、ということだけで結ばれている。病気やけがで何もできなくなっても、それで家族の絆が消えることはない。何があっても、その人がその人である限り、寄り添い続ける。
読みながら、大切なことに改めて気付かされました。
出来事ばかりに目を向けると、時々忘れてしまいそうになったりするけれど。
ありのままを受け入れ、ありのままを愛する。「である」ことに感謝する。
この気付きを胸に、今日もこれからも、学び続けたいと思います。
12
2010.2.10 リリース
このアルバムは、本当に。
とってもキラキラしていた。
新しい洋服を着た曲達はどれも魅力的で、心からワクワクした。LOVE SONGのイントロを聴いた時の、わぁーーー!っていう驚きを忘れられない。なんて新鮮なの。この曲のMV、温かくて世界の愛が詰まっていて素敵だったな。ASKAさんの笑顔から幸せが溢れていて。
そしてジャケットのASKAさんは格好良すぎだった。通勤電車の窓に12のジャケット写真が貼ってあって、ここから乗るとASKAさんに会える〜♪ってホームで電車を待ってたんだ。ぎゅうぎゅう詰めの通勤電車がこんなに楽しく感じられるなんて。それで会社に着くと、デスクにもこの写真のASKAさんが待っていて、再びテンションが上がった。まだそれが許される若さだった、はず。
車でもいつも12を聴いていて、ある時、友人の韓国人ご夫妻を車に乗せて走っていたら、旦那さんが突然、「Romiさん、この曲いいですね〜。」と言った。LOVE SONGか、風のライオン、どっちだったかなぁ。外国の人に不意にそんなことを言われたので驚いていたら、「声がとってもいいですよ。」と。うんうん♡韓国の人にも、ASKAさんの音楽が心に響いたのだと思うととても嬉しかった。
彼らはチャゲアスを知らなかったけれど、私は、韓国で日本の歌が解禁になった時に、チャゲアスが初めてコンサートを行った日本人歌手であることや、その時にASKAさんが感極まって歌えなくなっちゃったんだよ、と熱く語った。
その後しばらくしてご夫妻は日本を離れた。2011年の震災の時には、すぐに韓国から電話をくれて、食材をたくさん送ってくれて、温かい心遣いに心から感謝した。国との間では色々あっても、こんなに素敵な友達がいるのだから大丈夫、って思えた。
金さん、何年も会っていないけど元気かな。次会う時は、また一緒にASKAさんの歌を聴こうね。
それにしても、12って良いタイトルだな。この12曲から放たれる音の一つ一つが12音のどれかを奏でていて、それらが集まって楽曲になっているのだと思うと、この12曲達がたまらなく愛おしく思えてしまった。
めぐり逢い
この曲は、私の中でずっと、曖昧な位置付けの楽曲だった。
発売した当時、日本に住んでいなかったのでリアルタイムで聴いていなくて、妹よのドラマも観ることなく今まで来てしまった。
だから、チャゲアスの売上歴代第3位というのがなんだかピンとこなくて、心地良い曲だなと思いながらも、歌詞をじっくり眺めることもなく、なんとなく聴き流していた気がする。
聴くたびに、「乗り遅れたバスを見送る人を見よう」ってどういう意味なんだろうとぼんやり思いながら。
でもこの間、改めて聴いてみたら、急速にこの曲が気になり出した。
最後の転調が、こんなにせつない気持ちになるなんて。何度も聴いていたはずなのに、注意を払ったことがなかった。転調って、ふしぎ。
そうしてやっぱり考えてしまうのは、この曲の二人はどういう恋をしているのだろうと。
差し出す指に君は指で返したというのは否定なのか肯定なのか。乗り遅れたバスを見送る人とはなんだろう。
私には思い至らない解釈を、時折あっさりしてみせる夫に聞いてみると、
「僕には分からないね。」と即答した。
そして、「それ何回聞くの」と言われた。
そうか、前にも聞いてたんだ…。
突き離されてしまったけれど、バスのことが頭からずっと離れなくて、朝の洗面所で身支度をしながら、歌詞をじーっと眺めていた。
読み返すうちに、目にとまった言葉は。
「恋を 渡ろう」
そうかぁ。
この恋に区切りを付けて、前に進むことを決めた二人と、まだそこにとどまる人達を見つめる二人。そんな情景が思い浮かんだ。
そうしたら、急に確かめたくなった。
昔の会報を、探してみた。日本にいない間の、多分、一度も読まれることなくしまわれていた会報。
そこに書かれていたASKAさんの言葉。
「歌の中では許される恋愛とも許されない恋愛ともとれるようにした。許される、許されないという状況の中で、人を好きになって、そこに弾みをつけてポンと進もうとする決心を書いてみたかった」
なるほど、どちらか分からないのは、どちらにもとれるように書かれていたからだったのね!
気になっていた謎が解けたら、この曲が大好きになった。
あの転調をまた味わいたくて、何回も聴いてみた。
そして、次に聴きたくなった曲は、
「背中で聴こえるユーモレスク」だった。
そんな二人を、想像してしまった。
記憶
ASKAさんが久しぶりに更新したブログを読んだ朝。人は死んだらどこへ行くのか。
深遠なテーマについて、私も考えながらいつもの道を運転していた。
秋色の桜並木に差し掛かったら、風に舞う葉の間から射し込む朝陽がきらきらとしていて、光の道のように見えた。車の中ではMan and Womanが流れていて、なんだか幻想的な光景だった。
昔思い出した過去生があった。その人生を終えた時、私は空へ高く高く登っていき、家族達と再会した。とりわけ仲良しだった妹との再会を喜び、抱きしめ合った。妹は、現世の娘。そこでは姿も形もなかったけれど、確かな存在を感じた。私は感情が溢れ涙を流していた。
その人生では私は男で、たくさんの兄弟がいる中、その妹が私を特に慕っていてくれて、いつも仲良しの二人だった。私が結婚した時、妹は私と離れてしまうことを悲しみ、泣いていた。私は妹のそばに行き、「いつでもすぐに会えるから大丈夫だよ」と声をかけた。
でもほどなくして私の家族達は戦争か何かで皆死んでしまい、自分だけが残されてしまった。
だから自分の人生を終えて空の上で家族に、妹に再会出来た時、深い喜びと癒しを感じた。身体は命を終えても再び会えるのだということを理解した。
その妹は、今生では私の娘となって生まれてきてくれた。私を誰よりも大好きでいてくれて、いつでも一緒にいたがる娘。娘に生まれて来てくれて、ありがとう。
そんなことを思い出しながら、落ち葉のシャワーの中をくぐり抜けていった。
どうして、色んなことを忘れて生まれてくるのだろう。
生まれる前にしていたことや、この人生を選ぶ意味、乗り越えなくてはいけないことを。
覚えていられたらいいのに。
一生懸命模索しながら、生きていくことに意味があるのかな。
在るものになく ないものに在る
夢は次を見てる
このフレーズが、じんわりと心に響く朝だった。
ネクタイ
ASKAさんのネクタイ姿がかっこいい
ナロータイを着けるとまた素敵
SCRAMBLE発売ではそこかしこでASKAさんの姿が見られて嬉しかったなぁ。
何かの媒体で見たASKAさんのナロータイ姿がとても素敵で、そのネクタイのお店が職場のすぐ近くだったので、ある日のお昼休みに行ってみることにした。
あのネクタイを夫が着けたら少しASKAさんに見えるかしらなんて妄想を膨らませて。
お店に入り、ネクタイ売り場を見ていたら、男性店員がすーっうと近づいて来て言った。
「何かお探しですか?」
え、なんて言おう?これはちょっと特殊なシチュエーション。でも適当なことが言えなくって、
「えっと雑誌で見たネクタイを探していまして…」
ととりあえず言ったら、何の雑誌ですかと聞くので返答に困り、
「えっ…雑誌というか…歌手の方が着けていたネクタイがあって…」
と言ってしまった。すると店員さん、どなたですかとさらに聞いてくる。
「あのー、ASKAさん…」
すごい小さい声で言ったと思う…。
そうしたら
「あぁ、ASKAさんですね。」
探り探りだった店員さんのトーンが急に変わった。それなら知ってますよという顔をした。
そして、「少々お待ちください。」
と言ってお店の奥に行ってしまった。
なに、この展開?私は一人売り場ですごいドキドキ、一体何が出てくるのかしら、あ、ネクタイかしら、それとも?とずっとソワソワしていた。
しばらくして戻ってきた店員さんは、予想に反して、台帳のようなものを手にしていた。
「ASKAさんのスタイリストの方が良くお店に来るんですよ。先週も来たばかりです。」
と言って台帳をめくりはじめた。
スタイリストってあの方ですか?と聞いたらそうですと。ここで衣装を揃えていたんだ、きゃー、わー、すごーい!とテンションが上がった。
そしてそのネクタイは残念ながら完売してしまっていたことを教えてくれた。
「また来てくださいね。」
と店員さんが言ってくれた。
いつもの昼休みが、こんなスリリングな体験になるなんてと、それだけでお腹いっぱい幸せ気分でお店を後にした。
ASKAさんの素敵なネクタイ姿、また見られるかしら。楽しみにしてよう。
まる
私達は、だんだん背中がまるくなって、ちっちゃくなってゆく
顔や手はしわくちゃになって、
言葉がだんだん話せなくなって、
誰かの手を借りなければ生きていけなくなってゆく
赤ちゃんみたい
赤ちゃんに、戻っていくみたい
道は、真っすぐなようで、やっぱりまるい
だから、次はもっと上手く歩けるように、今日も私達は学び続ける
迷った時は、
心に花の咲く方へ