緊張と解放

朝から、月が近付けば少しはましだろうを何度も聴いていたら、何だか切ない気持ち満載になって、Man and Womanが無性に恋しくなってしまった。

久々にDOUBLEのPVを取り出して観て聴いて、もうその安堵感にものすごい泣けた。どんな感情に苛まれたとしても、この曲が全てを包み込んでくれる気がする。本当、私はこの曲を空まで持っていきたい。

何故か朝から号泣してしまったけど、慣れない場所に預けられた子供が不安な時間を過ごしていたところに、戻ってきた母親の顔が目に入って、思わずうわーーんって泣いちゃう感じ。その子供の気持ちが、良く分かった気がした。

音楽は緊張と解放。
そうか、これもそういうことなんだ。
この変化に、感情が揺さぶられるんだ。

見回してみると、色々なことにこの対比がある。スポーツも、思考や表現も、人生も。

緊張と解放を、いかに効果的にちりばめて、なおかつ自然に成り立たせるか。その解放を味わうために、何度も体験したくなるか。

というプロフェッショナルなんだな、ASKAさんは。

気付くと期待が高まっていて、でもその期待はなかなか達成されなくて、待って待って、最後にやっと満たされる。

アルバムを手にする時の安堵感はどのくらいだろう。

 

PRIDE

ずっと気になっていた昔の会報のASKAさんのコメントがあって、探してみた。2007年の会報だった。

その記事では、何故PRIDEのような曲が、女性にも支持されるのかということについて、ASKAさんが推測していた。一つは、女性もこの曲に出て来る気持ちを持っているだろうということ。もう一つは、女性には、自分の愛する人や身内をそばで見ている感覚があるからということ。

このコメントの後に、「このASKAの言葉を読んで、大きく頷いている女性がたくさんいることだろう。」

と綴られているのだけど、私はここを読んだ時、大きく首を傾げていたんだよなぁ。

確かにそういう側面もあるかもしれないけれど、私にとっては、本当に共感しているのはそこではないような。でもそれは一体何だろう?

時折思い出しては、ぼんやり考えながら歌を聴いていたのだけど、そうか、それからもう10年近く経っていたんだ。少しぼんやりしすぎたかな。

PRIDEも、月が近付けば少しはましだろうも、ライブで聴くと、その迫力と魂の込もった歌唱にただただ圧倒されて涙が出てしまう。その瞬間には、自分の体験や身近な人への想いはない、と思う。

なんだろうなぁ、と考えてみる。

そうすると、出て来るのは、やっぱり、

ASKAさんの、伝えられなかった事たちは、どんな悲しみをもたらしたのだろう。

とか、

拭きとれるはずの言葉たちは、行き場を失くしてどこへいってしまったのだろう。

沈黙の裏には、どれだけの涙の跡があるのだろう。

ということ。

 

一人歩きする誤解は、どこまでひとりで受け入れらるのだろう。

伝わらない想いを前に、どれほどの痛みを感じるのだろう。

やりきれないほどの孤独は、どの位ひとりで抱えきれるのだろう。

歌にすることで、歌うことで、ASKAさんは、その苦しみを少しばかり浄化出来るのだろうか。

そうであってほしい。

この追体験と、祈りの気持ちが、共鳴に繋がってゆく。

そんな気がしてきた。

祈りが、届きますように。

シンフォニックコンサート

good timeが好きすぎて、過去のLive DVDのこの曲だけを順番に観ていった。

GOOD TIMEツアー、My Game Is ASKA、シンフォニック、WALK とほぼ毎回歌われていて、ASKAさんにとって大切な一曲なんだなと今更ながらに実感すると同時に、何故今までこの曲の素晴らしさに気付かなかったのだろうと思う。

聴けば聴くほど、この曲はラブソングを超越しているなと思う。でも何がそう感じさせるのだろう。普遍的な、何か。そして美しく隅々まで目が行き届いているような感触が伝わってくる。

各ツアーのgood timeを順番に聴いていくと、楽器やアレンジの違いで印象が随分違う。なかでも、シンフォニックでのパフォーマンスが素晴らしすぎて泣けちゃう。

オーケストラもASKAさんのボーカルも、とても美しく、お互いを見事に引き立て合っている。ASKAさんは本当に気持ち良さそうに歌っているな。そして木管楽器ってこんなに哀愁漂う音色を出すんだな。

SYMPHONIC CONCERT TOUR 2008、久々に観て感動して結局全部観てしまった。

年代もバックグラウンドも様々な人達が、一つのところに向かってASKAさんの音楽を奏でている。そこにはどんな想念が生まれていたのだろう。

このツアー、東京公演は平日で行けなかったので、はるばる真駒内まで行ったんだった。2008年の11月。よく行ったなぁ。

この日、アンコールの時だったか、ASKAさんが突然、

「時間がないっ」

と言って巻きモードに入り、えっ?と驚いた。夫と二人、「じ、時間がないって…?!」と顔を見合わせた。

見知らぬ土地でほんの少し心細くなった、真駒内での思い出。今でも私達の語り草。

2005年のシンフォニックは、国際フォーラムで参加して、これも素晴らしかった。この会場、とても好き。ASKAさんの緊張感が伝わってきたなぁ。

このコンサートの時に、5,000円のASKAさん特大ポスターを買ったものの、巨大過ぎて貼る場所がなくて、たまに取り出してきゃー♡なんて言ってたような。あれ、みんなどうしたんだろう。

オーケストラで歌うASKAさん、また聴きたいな。
素敵な感動空間と、ASKAさんのお茶目な言葉をまた味わいたい。

X1

 

FUKUOKAではASKAさんの変わらない歌声と美しいメロディーに魅了され、

さてX1はどんな曲なのだろうと、どきどきしながら歌詞に目を通してみた。

第一印象は、あれ?意外なほどに、ストレートな言葉。のように思える。

そして曲を聴いてみると、語り口調のメロディーが静かに展開していく。

何も見ずに聴いた夫が、最初に口にした感想はやはり歌詞のことだった。

なんだろうね、いや歌詞全体が壮大な比喩かもしれないよなんて話をした。

クロスワン。
と言ってみたけど、なかなか、まだしっくりこないな。

何度か聴いて、その後はまたSCENE IIIのループに戻っていった。

でもふと気付くと、このメロディーを口ずさんでいる。

そういえば、短いピアノのイントロが印象的だ。

音源を聴きながら、ピアノでイントロを弾いてみた。そのままメロディーも。

起伏の少ないメロディーが繰り返していく感じ、だったのだけど、

「それだけは、これだけは」

のところに来て、おや?となって止まってしまった。
なに、このたまらなく切ない感じ。

もう一回聴いてみる。

これだけは、のところ。
泣けちゃう。ていうか涙出ちゃった、どうして。

和音が、変わったんだ。

この和音はなんだろうって、私にはすぐに分からなくて、色々弾いてみた。

ここだけ、何回再生したかしら。

そして何度もピアノで弾いてみる。
切なすぎるー。

メロディーの波が淡々と繰り返していく中で、不意に予想外の波が来て足元をすくわれて、感情を激しく揺さぶられた、という感じ。

一度揺さぶられたら、その切なさがずーっと、曲全体に染み渡って聴こえてくる。

メロディーの繰り返しが、フレーズの繰り返しが、ここでいきてくるんだなぁ。

もう、ミクロで泣けて、今はこれでお腹いっぱい。時間が経てばまたきっと色んなことが聴こえてくるかな。

でも不思議。
この泣けたというのは、歌への共感やそこからの連想などとは切り離された、純粋に音楽的な要素からくるもの。

和音の変化で、何故感情が揺さぶられるのだろう。その時、心や身体では、何が起きているのだろう。

音楽のふしぎ。

ニューアルバム、楽しみだー。

言葉

 

言葉は、誰もが使えるものだけれど
上手く使いこなすのは難しい

音を出すだけなら出来ても
美しく奏でるのは難しい楽器のよう


ASKAさんの紡ぐ言葉が好き

愛を、誰もが知っていて
誰も使わない言葉で表現する

巧みな比喩で私達の想像力を駆り立て
物事の対比を鮮やかに描く

きっと考え抜かれた一言も
はじめからそこにいたかのように佇んでいる


でも、本当の素晴らしさは、レトリックだけではない

言葉は、投げかけた問いや思考、想い、
そして真の体験の結果だとしたら

私達の心が動かされるのは、ASKAさんの言葉から、
それらを深く、何度もくぐり抜けてきたことが伝わってくるから

その言葉が、ASKAさんの体温を持った
ASKAさんだけの言葉だと感じることが出来るから

そしてその言葉の、私達が気付いていなかった
深いところにある愛やせつなさに共鳴するから


心の芯から湧き出る言葉を、ありがとう

 

SCENE III

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2005.11.23 リリース

このアルバムは、実はこれまでそんなに聴いてこなかった。

何となく、手が伸びなくて、仕舞ったまま時が過ぎていた。My Game is ASKAは何度も何度も観ていたのだけれど。

でも発売された時は、はりきって3枚購入した。
山野楽器で、CDを買うとオリジナルのASKAさんメモ帳と、ASKAさんグッズに応募出来る抽選ハガキがもらえるから、それが欲しくて3枚買ったんだった。

ハガキに、「どうしてもASKAさんグッズが欲しくて3枚買いました!」って書いてたな。

今思うと、なんてお金の使い方を知らなかったんだ、私…。

でもそれでASKAさんの写真入りフォトフレームが当たって家に送られて来た時は、飛び上がって喜んだな。きゃーーーわぁーーーーいかっこいーーー♡って。

それから11年、私は一体何回このアルバムを聴くことがあっただろう。

去年の年末、good timeが聴きたくなって、YouTubeで何度も聴いた。

そのうちに、CDでも聴いてみようと思って久々に取り出してみた。

アルバムを通して聴いて、散文詩と歌詞を読んで、はっとした。

この作品のテーマが、"loop"であること、一曲一曲にそのコンセプトが込められていることに、その時初めて気が付いた。

birthに始まり、背中で聞こえるユーモレスクに向かい、そしてloopの曲がここにあることの意味に、11年経って初めて気が付いた。

聴いていたようで、通り過ぎてたんだ。

会報を見返してみたら、「曲をつないだときに、きれいな円になっているような」アルバムを意識している、というコメントがあった。

ここでも、通り過ぎていたんだな、私。

でも、やっと気が付けて、良かった。
そしてそれは、時間だけが理由ではなくて、色々なことが絡み合って、影響しあっての結果。

人は、生きている間にも、輪廻を繰り返しているんだなと感じさせてくれる素晴らしい作品。

11年分、聴いてみよう。

WAVE

 

子供が寝静まり返った真っ暗闇の寝室で、音楽を聴いていた

PRIDEがかかった時、急に昔の光景が蘇った

小学生だった私が、レコードショップへの道を歩き、二人のCDを買いにせっせと通った日々

新譜を買う時は違うところに行ったけれど、
このお店には旧譜がたくさん置いてあったから、ここに来た

家から子供の足で歩いてきっと15分位
真っ黒にそびえ立つビルの中は、ちょっとした異空間で、オトナの雰囲気が漂っていた

他のレコードショップとは違うものを子供ながらに感じて、
ここでCDを買うのは特別なことな気がしていた

PRIDEのアルバムもここで買ったんだった
分厚いブックレットを何度も読んで、歌詞を追いながら曲を聴いた

二人が折に触れて「若いファンの子は、まだ歌詞の意味が分からないかもしれない」

ということを言うと、私は、全然、分かってるのに、と思っていた

書かれている日本語を日本語として理解しているだけだったと気付いたのは、ずっと後になってからだった

WAVEはやがて閉店となり、あの黒いビルはなくなって、街はすっかり姿を変えた
私も住むところが変わり、訪れることも少なくなった

故郷だなんて、思ったこともなかったけれど、
やっぱり、あの街で育ったんだな

大人になっていくほどに、経験を重ねるほどに、二人の音楽の聴こえ方が、変わっていった

それが、今も続いているなんて

ありがとう