その落差が浮き彫りにするもの

ある時ふと、日本のポップシンガーと言ったらこの人って言うのは誰だろうと考えて、最初に名前が浮かんだ槇原敬之を聴いてみることにした。

 

マッキー。と言えば小学生の時に買った「どんなときも。」が初めて聴いた曲だった。イントロからメロディがとても印象的で、子供心にいい曲だなぁって思った。

 

その後、CDを購入したことはあまりなかったかもしれないけれど、好きな歌、口ずさめる歌がたくさんあった。

 

時は経て昨年の晩秋の私は、「ポップスって一体なんだろう?」ということについてしきりに考えていて、その定義を試みる一方で、たとえば最近のマッキーはどんな歌を歌っているのかとても興味が湧いた。

 

昨年発表のアルバム『Beliver』を聴いてみた。聴いてすぐ、おおおおーって感動した。なんて端正なポップスなんだ。メロディアスでバラエティーにも富んで、シリアスだったりユーモラスだったり、様々な景色を見せてくれる。

 

 

90年代のあの頃からずっと変わらず、クオリティの高い楽曲を世に送り続けていたのだろうなぁと思うとなんだか感慨深い気持ちになった。


これぞポップスだよねと思う一方で、では何をもってそうなのかと言ったらまだまだ考える余地がありそうなので、これはもう少し時間をかけて考えてみようと思う。

 

 

しばらく聴いているうちに気になってきたのは、そういえばマッキーも過去に事件を起こしていて、復帰作として発表した音楽はどんな内容だったのだろう?ということだった。

 

2000年発表の『太陽』というのがそのアルバムだった。一曲目から順番に聴いてみることにした。

 

きっとこのアルバムで重要な位置付けを占めているのは、アルバムと同名タイトルである「太陽」であったり「彗星」という曲なのだろう。どちらも長く聴かれ、愛されていく曲なのだろうと感じた。

 

でも私がこのアルバムを初めて聴いた時に、とても気になり、歌詞を読み返し、心揺さぶられたのは4曲目の「濡れひよこ」という曲だった。

 

“僕は濡れひよこ”というフレーズから始まり、イントロではピヨピヨと、エレクトロなヒヨコの声がする。なんだこの曲は?と若干訝しげに思いながら続きを聴いた。

 

濡れひよこが”ゴボウを笹掻きにしてきんぴらを作る”?なんてフシギな歌なんだ。

 

キッチンで料理をしながら曲を聴いていた私だけれど、歌詞を見ながらその先を聴いていたら、たいへん、泣けてきちゃった。

 

そうか、雨で濡れてしまっても、お風呂で暖まって、”ちゃんと乾かして寝れば もとのひよこ”なんだね。

 

なんかヘンテコな曲だなぁなんて思って聴いてたけれど、意外な展開に不意を打たれてしまった。

 

 


一体このなんとも言えない気持ちは何なんだろう?と考えていたのだけど、しばらくして、過去によく似た気持ちを体験していたことに思い当たった。

 

この曲が私に引き起こした気持ちって、ASKAさんの復帰アルバム『Too many people』の「それでいいんだ今は」を聴いた時に感じたそれと、とてもよく似ている。

 

それでいいんだ今は(REMASTER)

それでいいんだ今は(REMASTER)

  • provided courtesy of iTunes

それでいいんだ今は / ASKA の歌詞 (2569989) - プチリリ

 

この曲は、ポップなサウンドからどうしても滲み出てしまう切なさみたいなものがあって、そこに泣けてしまうんだよね。

 

軽快なビートに乗って”新しい始まり"を歌い出し、私は鼓動の高まりを感じながら、希望あふれる未来に想いを馳せて次の展開を期待する。

 

でも新たに開けた視界を見渡すと、そこにあるのは希望ばかりではないことにだんだん気が付く。

 

つとめて明るい曲調だけれど、奥底には悲しみや苦しみも見え隠れしていて、その落差が悲哀をかえって浮き彫りにしてしまう。

 

聴いているうちにじわりじわりとそれが表面に浮かび上がってきて、なんとも言えない切ない気持ちになってくる。上手く折り合いをつけられないアンビバレントな感情が生まれてくる。

 

 

この曲を聴いた時に感じた感情の揺れを、私は「濡れひよこ」でも体験したのだと思う。元気だよ、平気だよ、って言うけれど、その言葉を聞くほど抱えた悲しみが際立って来て切なく響いてしまう。

 

感情をそのまま表現するよりも、伝わる、伝わってしまうのって、どうしてなんだろうな。

 

言葉と音がどこまで寄り添うか、あるいは離れるか、色々とさじ加減があるのだろうけど、2曲ともそのバランスが絶妙なんだろう。

 

 

マッキーの曲を色々聴いているうちに、彼がどんな言葉を発しているのか興味が湧いたので追っていたら、意外なところでこの曲に言及しているインタビューを見つけた。

事件についてやその後の音楽制作の様子を音楽評論家の小貫さんが取材し、「うたう槇原敬之」という本にまとめたものだった。

 

うたう槇原敬之

うたう槇原敬之

 

 

ー『太陽』に「濡れひよこ」っていうテクノっぽい曲があるでしょ。ずぶ濡れのひよこの産毛も、乾いたあとは元のひよこ(笑)。あの再生のメッセージは滲みましたよね。(後略)

 

「でもテクノっておっしゃいましたが、もちろん僕はYMOが大好きなんですけど、自分なりの消化の仕方としては、"人間の気持ち"っていう、非常にあやふやなものを際立たせるための"正確なビート"であったりもするんですよ。だから逆にクールなようで熱かったりもするんです。実を言うと「濡れひよこ」って、21世紀へ向けての「どんなときも。」だったりするかもしれないんです」

 

正確なビートの中に感じてしまう"揺さぶり"というのは確かに身に覚えがある。これもまた落差が際立たせるものなのかな。不思議。

 

それにしても、小貫さんも滲んでいたなんて。ASKAさんの「それでいいんだ今は」を聴いた時、ひょっとして同じ感触を味わったかどうか聞いてみたい。

 

 

さて気付けばマッキーの最速プレオーダーを申し込んでいた私だけれど、それももう4月の話だ。

TIME TRAVELING TOURは、今夜、国際フォーラムで開催される。

今日の私は何を持ち帰ることになるのだろう。