MV撮影

 

8月の下旬、夫の実家を訪ねた。
先に帰省していた夫から話を聞いていた義母が真っ先に尋ねて来たのは、ASKAさんのMV撮影のことだった。義母の中でいつの間にか、私はあの事件以来ASKAさんのファンをやめたことになっていたらしく、私が撮影に申し込んでいたことにとても驚いていた。

義母は撮影の報道を割と熱心に見ていたようで、こう続けた。「みんなごめん、って一言言ってたけど、あれだけじゃ納得出来ないんじゃない」

そうか、なるほどそういう受け止め方はもしかしたらめずらしくはないのかもしれない。そう思いながら、こう伝えた。私には気持ちは十分伝わって来たこと。何をやっても悪く言う人もいれば応援する人もいる。私は応援している、ということ。
そうだね、と義母は言った。

撮影参加は叶わなかったけれど、あの日、ライブ配信ASKAさんの姿を観ていた私は、来るべき日がとうとうやって来たのだとただ嬉しくて、氷結片手にはしゃぎながら観てたんだった。

でも翌日のインタビューや報道を観て、この出来事はASKAさんが色々なことをくぐり抜け、その結果の今でありMV撮影であったのだと思うと、あれはただ楽しいだけの時間じゃなかったんだなと、胸にじわりじわりと来るものがあった。

去年の夏にブログを初めて以来、ネットメディアを利用して次々に新しいことを成し遂げて来たASKAさん。もしもあの事件がなかったら、これらの出来事は同じように起きていたのだろうか。ピンチをチャンスに変えるという言葉があるけれど、これはチャンスのためのピンチだったのでは、という気さえしてしまう。

でもそれは、ASKAさんの情熱と才能と底力があってこそ、成し得たのだろうと思う。続けることを続ける、という困難を乗り越えるASKAさんの強さに、敬意を払わずにいられない気持ちになる。

そしてMV撮影を観て何より思ったのは、想いが最も伝わるのはやはり、語られる言葉よりも歌であり、歌う姿だということ。言葉はとても大きな力を持っているからその重みというのはもちろんダイレクトに伝わる。けれども歌という形の表現になった時、その形だからこそ浮き上がってくるメッセージというのがあって、それは生の言葉より、ずっと心の深いところに響く。

そのメッセージを感じるには、心をそこに向け、響き合える場所にいる必要がある。

そんな場所にいられたことにありがとうって、心から思った。

こうして私がやっと書いている間にも、ASKAさんは今日の顔で明日を迎え、いまを越えていっているのだなと思うと、なんだか私にもエネルギーが湧いて来た。

もう一回、新曲聴こうっと。