物語の力

 

私はいつからか小説というものを読まなくなってしまって、気付けば、読む本といえばもっぱら、ビジネス書や自己啓発書のような実際的ものが多くなっていた。

大学生の時に、村上春樹に出会ってその小説の世界に魅了された。村上春樹を教えてくれたその時の彼が言っていたこと。「物事には白と黒だけがあるのではない。グレーだってあるんだ。」
何故か、この言葉を良く思い出す。白と黒しか見えていなかったあの時の私には、とても刺さる言葉だった。

 

今年に入ってふと、村上さんの言葉に触れてみたくなって、久々に手にとってみることにした。はじめに読んだのは小説ではなく、職業としての小説家というエッセイだった。

そこで村上さんは小説を書くことについて、とても「まわりくどい、手間のかかる作業」だと述べていた。メッセージをストレートに言語化すれば話が早いところを、わざわざ「物語」という形に置き換えて表現するのだと。

日々目まぐるしく情報が流れ、多くの判断を下し、物事をこなしていかなくてはならない中で、私達はつい、結論を手っ取り早く求めてしまうようになってしまったのかもしれないと思った。それには小説を読むよりも、直接的なメッセージが書いてある本を読んだほうが効率的だと思えてしまう。

物語を読んでそこからメッセージを汲み取り自分に取り入れていくという行為は、とても時間がかかる回り道のようで、そういうゆとりを私はきっと失くしてしまっていたのか、必要ないと思ってしまったんだと気付いた。


本当に久々に小説を読んでみた。色彩を持たない田崎つくると彼の巡礼の年。

読んでみて、今の私にとって必要なメッセージが、物語を通してありありと伝わって来たと感じた。小説のテーマがなんであるかは、実は私達に委ねられているのかもしれないと思った。

小説を読むということは、ある場合には、ディテールのひとつひとつが重要なのではなくて、物語に自分を置くことで浮き彫りになってくる感情を丁寧にすくい上げて、そこに潜む真理に気付いていくというプロセスの積み重ねなのだと思った。

そしてその真理というものは、そこを切り取って言葉にしてみたところで理解しうるものではなくて、物語をくぐる過程で、自分自身の深いところでその真理に触れられて、初めて分かるものなのだと思った。

それはきっと、ASKAさんが歌う「全ては自分」という意味を、ASKAさんの物語を私なりに体験することでやっと身体で分かったということに似ていると思った。

いろんな人が歌ってきたように。
この歌を聴いた当時、私はそのフレーズを分かっているようで、概念を理解は出来る、というところに留まっていたのだと思う。

ASKAさんの出来事に遭遇して、様々な感情や葛藤を認めて、考えることを繰り返し、それらをくぐり抜けてやっと、出来事をどう受け止めるか、自分にとってどんな意味があるのか、そしてこれからをどうしていくのか、全ては自分次第なんだということが分かった気がした。

 

何が正しくて何が間違っているかなんてきっと誰も分からなくて、答えもきっと誰も持っていない。結論を言葉として出してしまった途端、物事はそれ以上でもそれ以下でもなくなってしまう気がする。

どれだけ正しい結論を出すかではなくて、どこまで白と黒の間のグラデーションを見つめ、違いに気付けるか。遠回りに思えた道で、どんな景色を見ることが出来たか。そういうことを大切にしていきたいと思った。


村上さんは、小説家とは何かと聞かれたら、「多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間」と答えると雑文集で読んだ。

もしかしたらASKAさんも、音楽家として同じことを思っているかもしれない。

Too many peopleを聴きながら、ASKAさんのいくつもの問いかけに想いを馳せて、答えのない答えのようなものについて考えていたら、なんとなくそんな気がした。