好きなものを、好きと言ってみる
私のウクレレは、何年も仕舞われたまま使われることがなくて、一昨年のある時取り出してみたら、購入年が2005年と書いてあった。
今となっては思い出せないけど、きっと、CHAGEさんASKAさんが同じ時期に偶然ウクレレを買っていたというのを会報で読んで、ようし私もと買ったに違いない。
でもコードをどうやっておさえて音を出すのか、本を見ても全然分からなくて、何度か体験レッスンに行ってみたけれどグループレッスンでは弾けそうになくて、結局自分で単音を覚えて、メロディーだけ弾くことをしていた。そしてそのうち、取り出すこともなくなってしまった。
月日が流れて昨年、娘が通う音楽教室に新しくウクレレの個人レッスンがスタートした時、私はとうとうその時が来たのだと思って、通うことにした。
とても素敵な透き通った声で歌う女の先生は、シンガーソングライターとしても活動されていると、しばらくして知った。
先日のレッスンで、先生が次はどんな曲をやりたいかと聴いてくれた。先生がライブで歌ったという蘇州夜曲をやりたいと私は言った。そして、蘇州夜曲は色々な人が歌っているという話になって、「誰が歌う蘇州夜曲が好きなんですか」と先生に聞かれた。
思わず「えーっ。」と言ってしまった。
えーと、えーと。
「特に誰のが好きっていうのはないですか?」
「いえ、あります。」
「誰ですかー。」笑顔いっぱいで先生が聞く。
「えーと、あの、チャゲアスの、ASKAさんなんですけど、、」
「あー、ASKAさん。ASKAさんと言うと…色々あった方のASKAさんですね」
「そうなんです、色々あった方の。でも、ずっと好きで…」
好きだと表明したときに、私はどんなものを背負うことになるのだろうと考えることがあった。
それを聞く人が、どれだけのことを知っていて、どれだけの誤解が含まれている可能性があって、どれだけ心を向けたことがあって、そこにはどんな感情があるのだろう。
"色々あった"の中に含まれる色々を考えると、何だか気が重くなって、ためらってしまう。
私は、このブログに言葉を綴って自分の気持ちを深く知るほど、表に出すものとのバランスが取れなくなっていっているような気がしていた。何か大切なことを、隠しているような気がしてしまうような。
だから、誰が歌う蘇州夜曲が好きかという他愛のない質問に、私は言い淀んでしまった。そういう時はどうすればいいのだろうって、考えてしまう自分がいた。
でも先生の反応は意外だった。
「ASKAさんて本当に歌が上手いから、もう本当に、頑張ってほしい」
なんの曇りもない心からの言葉だった。
涙が出そうな位嬉しくて、思わず聞き返してしまった。伝えて良かったと思った。
家に帰り、先生の言葉をまた思い出して、考えていた。
その言葉はASKAさんに向けられたものであったけれど、同時に私に向けて、それでいいんだという力強いメッセージが発せられたものでもある気がした。
伝えた時に、初めて出会える景色や言葉がある。
もし伝わらなかったとしても、伝えることに、意味はあるかもしれない。
好きなものを、好きと言う時は、
私が、どんな嘘も真実も痛みも優しさも抱きしめていくという時なんだ。
誰もがくぐる季節を、私も通り抜けて行こう。
そんなことを、決めた日になった。