SOUND ALIVE presents 横浜合同演奏会
今年の初めに東京に戻り、春からは仕事を始めた。
会社で働くのが久しぶりなら、満員電車も夕方の保育園のお迎えからの慌ただしい生活も久しぶりで、あっという間に日々が過ぎていく。
気付けばすっかり音楽を聴く時間がなくなってしまった。通勤時間は電車で音楽に浸れる程長くなく、家に帰れば子供達にその機会を奪われ叶わず。
ASKAさんの音楽もあまり聴けていないし、ブログもそんなに頻繁に見られていない。
ASKAさん、元気にしているかなぁ。
ふと思った時に、重要な予定を思い出した。
ASKAさんが出演するライブに行くんだった。今週末だ!
発売日の夜遅く、たまたまASKAさんのブログを開いてチケット発売に気付き、リセールチケットを購入したのだった。
当日もなんだかばたばたと会場に向かったけれど、終わってみれば、幸せな非日常のひと時を過ごせたことに、感謝の気持ちで満たされた。
その夜の記憶。正確ではないかもしれないけれど、熱気冷めやらぬ内に書き留めた言葉たち。
♫2019年9月16日 パシフィコ横浜
SOUND ALIVE presents 横浜合同演奏会
[出演]スターダスト・レビュー / 杉山清貴 / KAN
[ゲスト]ASKA
[オープニングアクト]海蔵亮太
三連休の最終日。日中子供達を連れて出かけ、午後、じゃあねと家を出る。わーいライブだ。
東急線を乗り継いで横浜へ。横浜のこの開放感、いつ来ても好きだな。
会場に到着して席に着くと、近くの女性客達が何やら話しているのが耳に入ってくる。どうやらスタレビのファンの方達の様子。
やれジュリーは太った、元アイドルの誰々がこの間歌ってたけど太った上に歌も歌えてなかった、でもピンクレディーは変わらずですごかった云々。へー、そうなんだ。
ひとしきり喋り終えた後、しばしの間をおいて女性のひとりが言った。
「そしてASKAはどうなんでしょうね。ちゃんと歌えるんだろうか」
なんて意味深なコメント。何故かちょっとどきどきする私。
開演時間の17:30になり間もなく会場が暗転し、オープニングアクトの海蔵亮太さんが登場。
チラシによると、カラオケ世界大会優勝という経歴を持つらしい。
今日は色々、初めて聴く人達の歌がたくさんだなぁと気楽に座って聴いていたのだけれど、しっとり歌い上げる姿に思いの外ぐっときてしまった。
想いを表現できる、そしてそれを聴き手と共有できるって素晴らしい。その境目はどこにあるのだろう。
前座終了後、しばらくの準備時間を経て、ぞろぞろとメンバーが登場してきた。
誰が誰だかよく分からないよー、とオペラグラスで一人ずつ追っていたら、「全員いるね、ASKA以外。」 という声が聞こえてきたのでそうなのかと納得。
スタレビを生で観るのはこの日が初めてだったのだけれど、要さん、面白すぎる。
「お手間ではあるんですが、良かったら席をお立ちください。 椅子代返してくれって言われちゃうと困るんですけど、まあそこはご自由に。でも空気は読んだ方がいいと思いますよ。 あくまでこれは自律的に、強制されてやるものではないですから。さあではみなさん、ルールに従って立ちましょう!」
終始こんな感じでおふざけしながら進行していく。
初めて聴く生歌は、思いのほか素敵な歌声だ。いいね~と思いながら聴いていたら、突如要さんが、KANさんが弾くグランドピアノの上に登り出した。
下からはスモークがブワーっと顔めがけて吹き付ける。要さん構わず熱唱、観客は大爆笑。なんだこのおじさまは。
しかしこれだけでは終わらなかった。その後の曲でもまたピアノの上に立ち、今度は大きな赤いマントを背中に付けだした。
何が可笑しいって、マントをパタパタと操っている後ろの男性スタッフがものすごい真剣な表情なところ。
目の前のKANも何食わぬ顔でピアノを弾きながら歌っている。シュールだ。
こんなにおふざけしてノリノリなテンションで、ASKAさんは一体どうやって登場するのだろうと気になり出した。
そのうちに要さんが、さあみなさんでオリンピックを応援しましょうと言って振り付け指導が始まった。
メンバーが音楽に合わせてマラソン、卓球、ボルダリングなどの動きを模した振り付けをして、私達観客がそれを真似する。笑える、なんだこれ。何度も繰り返して、最後はリレーの姿勢に。
次の瞬間、ステージ横の袖から颯爽と男性が走って来た。ってあれASKAさんだ!
ネイビーのTシャツに、白に近いグレーのパンツという爽やかな装い。アンカーでバトンを受け取ると、あっという間に走り去ってしまった。
「誰か走ってたよねー?」と要さん。
意外に会場無反応。あれ、みんな気付かなかったかしら。
その後も何事もなかったかのように続き、しばらくして要さんが、今日のスペシャルゲストです!謎のランナー! と紹介してASKAさん、再び登場。
「えー、さっきのASKAだったんだー!」という声が聞こえる。
同時に冒頭の女性客がこう言った。
「痩せてない!」
えーそうかな?かなり引き締まって見えたのだけど、私には!でも身体を相当作り込んでいるのか、がっしりとした印象。それにしてもASKAさん、若いなー。
ASKAさん登場早々、ステージに大きなホワイトボードが運ばれて来た。大きく「み・な・と」と書かれている。横浜にちなんだお題で、みなとから始まる言葉でメンバーを紹介する川柳を作るらしい。歌じゃないんだ。
ASKAさん「これってみ・な・ とのどれかから始まればいいって言う意味?」
要さん「…じゃあそういうルールにします?」
ASKAさん「どっちなんだよ!」
要さん「やめてよ。 今俺ほんとASKAと険悪な雰囲気みたく思われたくないんだよ」
会場笑。ちょっと苦笑い。
箱から一人ずつサインボールを取って、 引いた名前のメンバーを川柳で紹介することに。自分のボールを引いてしまった要さんは、ASKAさんとボールを交換する。
さぁ出来た人!と要さんが聞くと、ASKAさんが真っ先にはいはい!と手を挙げる。
「とんでもない なんとかしてくれ みみみのみ」
要のライブでの様子と言って説明するのだけど、「み」はなんだったけな?さっきまで覚えていたけど忘れた!! と言って会場を沸かせるASKAさん。
KANさんの番になり、やや恐縮気味に、ASKAさんを紹介することを打ち明ける。
これは本当の話なんですけど、と前置きして、一句。
「みるからに 長いメールが 途切れてる」
ASKAさんから長いメールをもらったが、どう見ても途中で途切れていたとのこと。
ASKAさん曰く、KANがフランスに行った時に何かあったのかなと思ってメールをした。お前は生まれながらの天才なんだからということを書いていた。でも何故か途中で途切れていた。何があったかは分からない。
「ま、そういう関係ってことよ!」とまとめる。
会場、笑いに包まれる。ASKAさん楽しそう。
最後は杉山さんの川柳。ちょっと正確に思い出せないのだけれど、みんなとの懐かしい思い出が遠くに流れていく、というような内容だった。
昔の出来事が上手く思い出せなくなってきたという話から、ポプコンの思い出話が始まった。
要さん「スタレビでポプコンに出て、予選で大都会を聴いてあぁもうだめだと思った」
ASKAさん「16回、17回のポプコンに出たけど俺も同じ経験してるよ。 円広志さんが夢想花で回って回ってーと歌ったのを聴いて、あぁこれはもうダメだって思ったね」
要さん、おもむろに「…ASKA昔、友達いたよね?」 とASKAさんの隣を指差す。
「お前なー!(観客を向いて)こいつはいつも俺に言うんですよ。今はこういう時だから、そういう冗談とか言うと誤解されたりするからやめとけって。お前が言ってどうするんだよ!」
客席からどっと笑いが沸く。友達かー。でも要さんのこの触れ具合、絶妙だな。あまりシリアスなのも、全く触れないのもあれだし。
その後、アカペラでDaydream believerを全員で歌う。
歌い出す瞬間にASKAさん「ハックション」→ みんなズッコケる → 立ち上がってもう一回歌い出す合図 → ASKAさん「ハックション」→ みんなズッコケる。
観客はもちろん大爆笑。ASKAさん、本当に楽しんでる。
客席から「昭和〜!あの転び方」という声が聞こえてきた。
あれはドリフだったのか。そうなんだ、知らなかった。
アカペラの後はメンバーがそれぞれの歌を歌い、次はASKAさんの歌というところになり、ASKAさんから一言。
「今日は色んなお客さんがいらっしゃると思うんです。それぞれ聴いてるアーティストがいて。初めて僕の歌を聴かれる方もいらっしゃると思うので、ご紹介ということで、この歌を歌わせて頂きたいと思います。……愛は勝つ」
そう来たかー‼︎ 会場どっと湧く。多分この夜一番の笑い。本当、、笑ったー。ASKAさんが歌うの聴いてみたかったけれど!
長い笑いがやっと収まり、そのままイントロが流れ出した。曲は、はじまりはいつも雨。おぉーという会場の反応。
やっとASKAさんの歌が聴けたよー。今日は歌も絶好調。しっとり聴かせて曲が終わる。
要さん「一緒に曲を作ったのはいつだったっけ、あれは2000年…代だよね?」
ASKAさん「そうそう2000年代」
要さん「あの時僕たちのライブにスペシャルゲストで参加してくれたんです」
ASKAさん「四国だったよね」
要さん「そこで僕らが新曲をやりますって言って、SAY YES、って紹介したらお客さんは最初フーンていう感じであまり反応がなかった。でもいざ二人が出てきたら、ウワーーーってすごい盛り上がってさ! あれ絶対僕らのお客さんじゃないよねって。」
要さんがASKAさんの次の曲紹介の前振りをする。
「今日はCHAGEがいっぱいいますから。 あっちにもこっちにもCHAGE。」
わ、CHAGEって言った。さっきは友達だったけど。観客、またしても笑いが止まらない。
そして流れて来たイントロはSAY YES。わぁすごい。
CHAGEちゃんパートをみんながハモってる。なんていうか、圧巻な光景だ。
はじまりはいつも雨と来てSAY YES。昔のASKAさんだったらこういう選曲はしなかったかもなぁと思った。
円熟と潔さを感じて、嬉しさと切なさが入り混じってくる。あと何回こうやって聴けるんだろうなって思ったらちょっと泣けてきた。
拍手喝采で歌い終える。涙出ちゃったよー。ねぇちゃんと歌えてるでしょASKAさん、と件の女性に心の中で語りかけた。
すると曲が終わって間髪入れず女性が一言、
「YAH YAH YAHやってくれないかなぁ」
同伴の女性「そうだよね、やってくれたらいいよねー!」
なるほどー。ですよねー。
女性の期待を裏切り、ASKAさんは詩の朗読を始めた。
こういう場で、これを出来てしまう、観客を持っていけてしまうASKAさんて、やっぱりすごいなぁと思う。
「歌になりたい」
3月の静岡公演で初めて聴いて、素敵だなぁと思った曲。 時間を超えて、遠くに届く歌。
歌い続けてくれて、本当にありがとう。
会場いっぱいに温かな拍手が広がった。
この後ASKAさんは一旦退場し、後半で再び登場。
「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」のイントロが流れる。私の斜め前にいた女性は多分スタレビのファンだったと思うけど、熱烈に拳を上げていた。音楽の力って計り知れない。
曲の終わりに差し替かり、ASKAさんもグランドピアノに上がって歌い出だした。
ASKAさんがピアノの上に立つと、面白いっていうよりふつうにカッコよく決まっちゃうよねー、なんて思っていたら、 曲の終わりに合わせて片手をピアノについて華麗に回転し、見事に着地…ではなく尻もち。
あれは見事な演出なはず、と思い込む。
そしてアンコールでは「YAH YAH YAH」。
観客総立ちで拳を振り上げる。
そうそう、この景色。マッキーのライブでも味わった感覚。 あの時代を共有したみんなと、繋がっている感覚。これって本当、感動的だ。
件の女性もきっと、楽しんでくれたはず。
それにしても、メンバーのCHAGE役コーラスに感動する一方でうすうす思っていたのだけど、CHAGEちゃんのコーラスワークってめちゃくちゃ凄かったんだ 。
あの高さでハーモニーを奏でるって尋常ではないことなのね! と、ご本人不在にして今更ながらに感心してしまった。
いつかまたお友達になれるかしら。
アンコールが終わり、要さんが「最後に一言頂けますか」 と各出演者に聞いていく。
KANさん「今日はもうずっと緊張してまして…」
要さん「なんで?」
KANさん「 いやもうはじまりはいつも雨は僕にとって特別な曲ですから、それをASKAさんと一緒にやれるとは。しかも僕がその曲のカウントを入れると言う。…がんばりました(お辞儀)」
背中に白い羽を付けてお茶目な格好をしているのに、なんでずっと浮かない表情で歌っているのかしらと思っていたのだけど(あるいはいつもそう見えるのか分からないけど) 、緊張していたのかー。
続いてASKAさん。
ASKAさん「今日の話っていつもらったんだっけ、 結構早かったよね?」
要さん「おとといだよ」
ASKAさん「違うだろ!結構早い時に話をもらって、もう、すぐ出るって返事をしたんですよ。それで今度は北海道でもやるんだよね。大黒摩季ちゃんも一緒に。 そこでは俺はスペシャルゲストではないんだよね。その違いがよく分からないんだけど。扱いの違いが」
要さん「いや色々あるんだって。この人簡単に言いますけどね、出てもらうのもそう簡単じゃないんですよ。色々事情が」
ASKAさん「俺の事情か!お前の電話一本だっただろうが!」
要「まぁ音楽やってると色々ありますからねぇ」
ASKAさん「お前がまとめるな、お前がまとめるな!」
ASKAさん「…頑張りました!」
———
ライブ終了。
こんなに笑えるライブだったなんて。楽しかったなー。なによりASKAさんが楽しんでいる姿を見られて嬉しかった。素敵な仲間に囲まれて音楽をやれるって最高だろうな。
公演後、道すがら聞こえて来るお客さんの話がまた面白い。 普段ASKAさんの歌を聴いていないであろう人達の新鮮なコメント。
「ASKA大きい。 ASKAの横にいると要さんがちっちゃく見える。」
確かに。お茶目でかわいいおじさまだったな、要さん。
「 ASKAさんがマイクの方全然見ないで歌うって本当だったんだー 。モノマネの人達がやってるのって誇張じゃなかったんだね。でもあんなにマイクから離れててあの声量すごいよねー! どんだけ声量あるんだろうね」
今更すぎて面白いー‼︎
「ASKAさん怪我してないか心配。おしりから行ってたと思うんだけど、あれ痛いよねー。 KANちゃんがあわてて心配そうに駆け寄ってたもんね」
え、あれ演技じゃなかったんだ⁈ そうなのかな、どうだったんだろう。
上と同じ方「あの曲(恐らくは共作の曲)歌って欲しかったけど、まあたくさん(人が)出てたからしょうがないよね。 KANちゃんのライブにゲストで出てくれないかなー。 むしろASKAさんのライブに出てほしい。でもそしたらライブしっかり見ておかなくちゃ。DVD発売禁止にでもなったら困る!」
発売禁止ってどういうこと。いやそれはないでしょー、と心の中で突っ込む。
「ASKAはあんまり触れられたくないみたいだったね。何があったんだろうねぇ」
しんみり語り合う女性二人組。
そうだなぁ。私にも分からないなぁ。
でも何であっても、ASKAさんが選んだ道は、きっとそれで良かったのだと思う。
ASKAさんが、自分のために歌を歌う。
伝わって来たら、それが答えなんだろうな。
オンリーロンリーの思い出と
4年間住んだ静岡市を離れることになった去年の夏、慌ただしく引っ越しの準備をしていた時に、見つけた本があった。
ASKAさんの詩集「オンリーロンリー」。2冊並んだ本が、入りきらない本棚の上で埃をかぶっていた。
オンリーロンリーの思い出。
1冊は中学生の頃に近所の書店で購入して、もう1冊はその昔、93年の年末に福岡でコンサートに行った時に、私がファンであることを知った知り合いの方に頂いた。ASKAさんのサインとバックステージパス入りで、その方とASKAさんが一緒に写った写真まで頂いた。
知り合いだった方が実はASKAさんと交流があるとは本当にすごいことなはずなのに、当時の私はとても人見知りで、「ありがとう」としか言えなかった気がする。
「ASKAさんはどんな人だった?」とか、「ASKAさんとどんなこと話したの?」くらい聞けば良かったのに。本当に、貴重な機会損失だ。とよちゃん、元気にしているかな。
そんなことを思い出しながら、懐かしく詩集のページをめくった。そうそう、綺麗な挿絵を眺めながら、詩の世界を想像するのが楽しかったな。
しばらく挿絵を眺めているうちに、この絵の作風に、なんだか見覚えのあるような気がしてきて、絵を描かれている黒井健さんについて調べてみた。
そうしたら、あの絵本「ごんきつね」や「手袋を買いに」の絵を描かれている方だった。オンリーロンリーの挿絵はそれよりも前に描かれていたようだった。
嬉しくって娘に教えた。
「ねえねえ、この本知ってる?ASKAさんが昔書いた詩の本なんだけど。ごんきつねの絵を描いている人と同じなんだよ。ね、絵の感じが似ているでしょ!」
「ほんとだー。じゃあ読んで!」
「え、読む?この本を声に出して読むの?」
思わず聞き返してしまったけれど、娘は当たり前のように「うん」と言う。いつもの絵本読み聞かせと変わらないと思っているらしい。
なんだかちょっと気恥ずかしい気持ちになりながらも、いいよと言って読むことにした。
「ママね、好きな詩があったんだ。これこれ。」
久しぶりに開いた本だったけれど、すぐに見つけた。とても短い詩に、美しい夕暮れの風景が添えられているこのページ。
「何かをやらなくてはと
意気込んだ日に限って
時間は簡単に
過ぎてしまいます」
読み終えて、私は声をあげて笑ってしまった。
中学生の時もこれを読みながらそうそうって頷いていた私だったけれど、30年近く経っても何も変わっていない。
こんな私ってどうなんだ。
「ほんと、今日はこれをやろうって思っても、どうしていつも終わらずに一日が終わっちゃうんだろうね」
そんな会話を娘とした。
あれからもうすぐ1年経つけれど、やろうと思っていたことは、どうして、まだ出来ていない。
あの時の私はけらけら笑いながら話していたけれど、また明日やろうって思っていたけれど、このまま時間に置いていかれることを繰り返していたらどうなってしまうのか。
時間は消えてゆくのに。
ASKAさんは前へと進んでいるのに。
やらなくてはならない何かの意気込みを持って私はこの世に降りて来たはずだけれど、もしもやり遂げらないまま終わってしまったら?
思い残した想い達は、一体どんな形で生まれ変わるのだろう。
借りを作ったまま終わらせてしまうわけには、やっぱりいかない。
私のささやかな決意。
やりたかったことを、ひとつずつ形にしよう。
この場所におさまりたいのに、言葉に出来ないまま浮かんでいる断片的な想い達を、残らず言葉にしていこう。
そしてそこに立って見える景色を、見にいこう。
ありがとう、オンリーロンリー。
alive in live
もう結構前だけれど、ずっと中身を改めることなく放置していた非常持ち出し袋を、やっと思い立って整理した時のこと。
こんなものが出てきた。
2007年、alive in liveのツアーグッズで購入した、非常食のパンの缶詰。
買ったことすらすっかり忘れていて、タイムカプセルを開けたかのような気分になった。
賞味期限は一年間だったので、とっくに切れていた。どうしよう…。とりあえず開ける前に写真を撮っておくことにした。
撮っているうちにライブを懐かしく思い出してきたので、久々にDVDを観てみることにした。
後になって改めて観てみればだけれど、「これが最後という目でみられるライブにはしたくなかった」というASKAさんの想いと裏腹に、それがなんとも色濃く滲み出てしまっているステージな気がして、切なくなった。しんみりとしたライブだったなぁと思う。
でも当時会場でライブを観ていたその時の私は、alive in liveで感じた和やかな雰囲気に少しほっとしていた。
この年の初めに発売したDOUBLEというアルバムに、そしてその後のツアーでの様子に、少なからず引っかかるものを感じていたから。
alive in liveは収録の日と最終日に参加して、最終日のクリスマスイブは、後ろでメンバーがこっそりトナカイなどの被り物をして、二人はそれに気付かず歌っているというシーンがあった。とっても微笑ましくて、幸せな気持ちになった。
あの日、これが最後のライブと思いながら歌っていたなんて。想像もしなかった。
その後、2009年の年明けに解散報道があって、まもなく二人から無期限活動停止が発表された。
解散報道にはもちろんびっくりしてテレビの前で固まった。でも同時に、「やっぱりそうなのか…」という思いも湧いた。
このニュースを聞いた時に真っ先に思い出したのは、アルバムDOUBLEについて、「制作そのものがまだ終わってない気がして仕方ない」「描いていた輪郭のまま完成してしまった。こういう気持ちになっているのも、前回のアルバム制作がソロだったから」と語っていたASKAさんの言葉だった。その言葉の意味するところは何なのか、とても気になっていた。
でも結局のところ、何があってこういう結果になったのか、私はほとんど何も知らないに等しかった。
ニュースを見た朝、私は通勤途中の駅の売店で、スポーツ紙を買い集めて出社した。チャゲアス解散について各紙が一面で報道していた。
オフィスに着くと、みんなが一斉に神妙な面持ちで解散のわけを私に尋ねた。何で解散するの?やっぱり仲が悪かったの?よくある音楽性の違い?
知っていて当然の如く向けられたそれらの質問に、何ひとつ私は答えられなくて、歯切れの悪い反応を繰り返すしかなかった。
近くで聴いて来たけれど、知っているようで何にも知らなかったんだな、私。
「30年間の複雑がそこにはあって、階層があって。でもそれらが表面化した時は単純な出来事として捉えられてしまう」
と後のインタビューで語ったASKAさんの言葉をその後、私は何度も思い返すことになった。
あれから月日が流れて、事件も起きた。さまざまな報道があって、人々の反応があって、たくさんの誤解も生まれたと思う。
色々な出来事を目の当たりにして、考えていたこと。
私達は、何故いとも簡単にこうに違いないと決めつけ、深く考えることなく結論付けてしまうのだろう?
答えの見つからない問いを、そのままの形で受け入れるにはどんな困難が伴うのだろう?
解ける見込みのない誤解はどこに解を求めればいいのだろう?
飲み込まなくてはならなかった言葉や、やり場のない怒りや、見せることのない涙がそこにはきっとある。
それらが受け止められることなくいつか消えてゆくのを待たなければならないとしたら、あまりに切ない。
「見えないものを、心の目で見るんだ」
そんなことを考える時、「美女と野獣」で野獣がベルに言った言葉をいつも思い出す。
目に見えるものが全てではない。見えないものにどこまで心を向けられるか。
大切なのは、答えにたどり着くことよりも、そこに想いをめぐらせること。
そういう気持ちを持っていたいと思う。
さて、10年近く前に賞味期限の切れたこの缶詰をどうしようか。
缶詰は結構期限が切れていても平気って言うから、ひょっとしたら食べられるかも…
ほんの少し期待を持って缶を開けてみたら、あまりの強烈な匂いに倒れそうになった。発酵しすぎの形容出来ない匂いだ。
缶詰の中でもこんなに発酵が進むんだ。
せっかく買ったのに食べられなくてごめんなさい。
つくづく、わからないことばかりだな。
星空
ある時しきりに考えていたこと。
星になった人達から見る星空は、どんな景色となって映っているのだろう。
星となってもまた見上げる星空があるのか、それとも四方見渡す限りの星の中にいるのか。
ふいに星になった人達は、そのわけを全て悟り、受け入れ、幸せを見つけているのだろうか。
夜空を見上げてうっかり涙をこぼしてしまうこともあるのかな。
そこに音楽があってくれるといいな。
ASKAさんが今月発表される新曲のタイトルが「星は何でも知っている」だと知って、そんなことを考えていたことを、ふと思い出した。
毎月配信される楽曲を、まだ一度も購入したことがない私だけれど。
聴いてみたいなぁと思う。
先日、丸4年間住んだ静岡に別れを告げた。
引越しのドタバタで、しばらく音楽自体をまともに聴く時間がなかったけれど、今夜、とても久しぶりに聴いてみた。
どうしてかやっぱり、聴かなくてはならない種類の音楽なんだな、私にとってASKAさんの歌は。
どうしてだろう?
ASKAさんの音楽が私にもたらしてくれるもの。
秋が深まる頃になったらもう少し、分かるかもしれない。
その落差が浮き彫りにするもの
ある時ふと、日本のポップシンガーと言ったらこの人って言うのは誰だろうと考えて、最初に名前が浮かんだ槇原敬之を聴いてみることにした。
マッキー。と言えば小学生の時に買った「どんなときも。」が初めて聴いた曲だった。イントロからメロディがとても印象的で、子供心にいい曲だなぁって思った。
その後、CDを購入したことはあまりなかったかもしれないけれど、好きな歌、口ずさめる歌がたくさんあった。
時は経て昨年の晩秋の私は、「ポップスって一体なんだろう?」ということについてしきりに考えていて、その定義を試みる一方で、たとえば最近のマッキーはどんな歌を歌っているのかとても興味が湧いた。
昨年発表のアルバム『Beliver』を聴いてみた。聴いてすぐ、おおおおーって感動した。なんて端正なポップスなんだ。メロディアスでバラエティーにも富んで、シリアスだったりユーモラスだったり、様々な景色を見せてくれる。
90年代のあの頃からずっと変わらず、クオリティの高い楽曲を世に送り続けていたのだろうなぁと思うとなんだか感慨深い気持ちになった。
これぞポップスだよねと思う一方で、では何をもってそうなのかと言ったらまだまだ考える余地がありそうなので、これはもう少し時間をかけて考えてみようと思う。
しばらく聴いているうちに気になってきたのは、そういえばマッキーも過去に事件を起こしていて、復帰作として発表した音楽はどんな内容だったのだろう?ということだった。
2000年発表の『太陽』というのがそのアルバムだった。一曲目から順番に聴いてみることにした。
きっとこのアルバムで重要な位置付けを占めているのは、アルバムと同名タイトルである「太陽」であったり「彗星」という曲なのだろう。どちらも長く聴かれ、愛されていく曲なのだろうと感じた。
でも私がこのアルバムを初めて聴いた時に、とても気になり、歌詞を読み返し、心揺さぶられたのは4曲目の「濡れひよこ」という曲だった。
“僕は濡れひよこ”というフレーズから始まり、イントロではピヨピヨと、エレクトロなヒヨコの声がする。なんだこの曲は?と若干訝しげに思いながら続きを聴いた。
濡れひよこが”ゴボウを笹掻きにしてきんぴらを作る”?なんてフシギな歌なんだ。
キッチンで料理をしながら曲を聴いていた私だけれど、歌詞を見ながらその先を聴いていたら、たいへん、泣けてきちゃった。
そうか、雨で濡れてしまっても、お風呂で暖まって、”ちゃんと乾かして寝れば もとのひよこ”なんだね。
なんかヘンテコな曲だなぁなんて思って聴いてたけれど、意外な展開に不意を打たれてしまった。
一体このなんとも言えない気持ちは何なんだろう?と考えていたのだけど、しばらくして、過去によく似た気持ちを体験していたことに思い当たった。
この曲が私に引き起こした気持ちって、ASKAさんの復帰アルバム『Too many people』の「それでいいんだ今は」を聴いた時に感じたそれと、とてもよく似ている。
それでいいんだ今は / ASKA の歌詞 (2569989) - プチリリ
この曲は、ポップなサウンドからどうしても滲み出てしまう切なさみたいなものがあって、そこに泣けてしまうんだよね。
軽快なビートに乗って”新しい始まり"を歌い出し、私は鼓動の高まりを感じながら、希望あふれる未来に想いを馳せて次の展開を期待する。
でも新たに開けた視界を見渡すと、そこにあるのは希望ばかりではないことにだんだん気が付く。
つとめて明るい曲調だけれど、奥底には悲しみや苦しみも見え隠れしていて、その落差が悲哀をかえって浮き彫りにしてしまう。
聴いているうちにじわりじわりとそれが表面に浮かび上がってきて、なんとも言えない切ない気持ちになってくる。上手く折り合いをつけられないアンビバレントな感情が生まれてくる。
この曲を聴いた時に感じた感情の揺れを、私は「濡れひよこ」でも体験したのだと思う。元気だよ、平気だよ、って言うけれど、その言葉を聞くほど抱えた悲しみが際立って来て切なく響いてしまう。
感情をそのまま表現するよりも、伝わる、伝わってしまうのって、どうしてなんだろうな。
言葉と音がどこまで寄り添うか、あるいは離れるか、色々とさじ加減があるのだろうけど、2曲ともそのバランスが絶妙なんだろう。
マッキーの曲を色々聴いているうちに、彼がどんな言葉を発しているのか興味が湧いたので追っていたら、意外なところでこの曲に言及しているインタビューを見つけた。
事件についてやその後の音楽制作の様子を音楽評論家の小貫さんが取材し、「うたう槇原敬之」という本にまとめたものだった。
ー『太陽』に「濡れひよこ」っていうテクノっぽい曲があるでしょ。ずぶ濡れのひよこの産毛も、乾いたあとは元のひよこ(笑)。あの再生のメッセージは滲みましたよね。(後略)
「でもテクノっておっしゃいましたが、もちろん僕はYMOが大好きなんですけど、自分なりの消化の仕方としては、"人間の気持ち"っていう、非常にあやふやなものを際立たせるための"正確なビート"であったりもするんですよ。だから逆にクールなようで熱かったりもするんです。実を言うと「濡れひよこ」って、21世紀へ向けての「どんなときも。」だったりするかもしれないんです」
正確なビートの中に感じてしまう"揺さぶり"というのは確かに身に覚えがある。これもまた落差が際立たせるものなのかな。不思議。
それにしても、小貫さんも滲んでいたなんて。ASKAさんの「それでいいんだ今は」を聴いた時、ひょっとして同じ感触を味わったかどうか聞いてみたい。
さて気付けばマッキーの最速プレオーダーを申し込んでいた私だけれど、それももう4月の話だ。
TIME TRAVELING TOURは、今夜、国際フォーラムで開催される。
今日の私は何を持ち帰ることになるのだろう。
東京の街で思い出したこと
3月の終わりの日、東京国際フォーラムに行く予定があった私は、新幹線に乗って東京へ向かっていた。
当日の朝ふと、一番最後に行ったASKAさんのライブはどこだったかなと思いを巡らせていたら、そうだ、今日行く国際フォーラムだったんだ、と思い出した。
2013年1月のRocketツアー。もう5年も前なんだ。
子供が生まれてからは、チケットを別の日で一枚ずつ取って、夫と交代でライブに行くということをしていた。
東京の初日は夫が参加して来て、どうだった?と聞いたら、「新聞見たろ?てなことだ。待たせたねー!」と言っていたと聞いて、きゃーっ!かっこいー♡ってはしゃいでいた。チャゲアス復帰発表当日のライブだった。
翌朝のテレビでもその様子を放送していて、今日のASKAさんはなんて言うのかしら、わくわく、とはやる気持ちを抑えられずに会場に向かった。
前から2列目という良席でASKAさんが登場するのをどきどきしながら待った。そして現れたASKAさん、「こんばんは」と言って会場の上方を見上げるので、はて?と思いながら私もつられて見上げたら、「色んな意味で空が青いね。待たせたねー!」だって。うんうん、待ってたよー。
本当に素晴らしいライブだったな、という感動が今でも残っている。ただその時の細かな記憶が、年月の経過とともに私の中でだんだん薄れていっているのも事実で、それがなんだかさみしい。この日の収録、いつか観られると良いなって思う。
そんなことを道々思い出しながら東京に着いた。
いつもは乗り換えで慌ただしく通り過ぎるだけの東京駅だけど、今日は時間があったので寄り道をしていくことにした。
長い間、私の職場であった丸ビルを訪れた。何年振りだろう。何となく身体が上手くこの場所にフィットしないような感触を感じながら、かつて毎日通った場所を懐かしく見回した。
このレストランは夫と初めてのデートで来たところだったなとか、ここに昔、何かのイベントでCHAGEさんがやってきて、見に来たんだよなぁなどと思い出しながら感慨深い気持ちに耽った。ASKAさんが着けていたネクタイを昼休みに探しに来たこともあったっけな。ASKAさんのネクタイ姿は今も昔も変わらず素敵だ。
一通り散策を終えて、丸ビルから歩いて国際フォーラムに向かうことにした。仕事の後、ここからASKAさんのライブに向かったことが何度かあったなぁと思い出していた。
2009年の昭和が見ていたクリスマスの日は金曜日で、私は終業時間ぴったりにPCをパタンと閉じて退社して、この道を歩いて足早に会場に向かったんだ。会場で合流した夫と、間に合ったねってお互い顔を見合わせた。
あの日の私は、長く一緒に働いていた上司とASKAさんの姿が重なってしまって、ライブ中ずっと泣いていたんだった。
若くして人の上に立ち、強力なリーダーシップで数百人を牽引してきた魅力あふれる上司が、突然そのポジションを離れることになってしまった。もう一緒に働けないのかと思うと悲くて仕方なかった。
こんな人についていきたいと常々思っていたので、その人をサポートする立場になれた時はとても嬉しかった。時間にいつも間に合わなくて、大事なものをよくどこかに忘れてきてしまって、自分の言ったことを忘れてしまう人だということが程なくして分かったけれど。とても人たらしで、若者の話しを愛情を持って聞いてくれ、年上の部下からも慕われるリーダーだった。
きっとASKAさんもこんな人に違いないっていつも思っていた。だっておんなじ魚座のA型。背中を見せることでメンバーを引っ張り常に戦っているけれど、そうではない弱い一面も時にあるのだということを知った。
大勢の観客の前で堂々と歌うASKAさんも、きっと外からは見えない色んな一面を持ち合わせているのだろうなって思ったら、延々涙が止まらなくって、およそライブを鑑賞するという状態ではなくなってしまった。ちゃんと聴けなくてASKAさんごめん、って思いながら観ていた。
春の気持ちよい日差しを浴びてゆっくり歩きながら、そんなことを思い出していた。この街にはたくさんの思い出が詰まっているな。目に入って来る景色の変化に気付いては、街が少しずつ姿を変えてきたように、私も歳を重ねたんだなぁと思った。
気付くと頭の中で「同じ時代を」を口ずさんでいた。どうも、色んなことを懐かしく思う年齢になってきたみたいだ。
そうしたらなんだかぐすんぐすん泣けて来て、信号待ちの横断歩道で涙をふいた。やだなぁ、もう。
それにしても、私は生身のASKAさんにもう5年も会っていないんだ。そんなに長くあいたことって考えてみればなかった。
その間、私がASKAさんについて考えたり言葉にしていくうちに、ASKAさんは私の中で、より観念的な存在となっていったのではないかという気がする。
日々更新されるブログの向こう側には、血の通った身体を持つASKAさんが存在しているはずなのに、なんだか上手く想像出来ない。その一方で私は言葉を綴りながら、何やら複雑に絡み合った思いを積み上げているような気もする。
ASKAさんが目の前で歌っている姿を見たら、その声を私の耳に直に届けてくれたら、きっと色んなことが全部吹っ飛んで、どうでも良くなってしまうんだろうなって思う。私はただ泣きながらじっと聴くのだろう。
会いたいんだろうなぁ、私。
なんてことを会場近くのカフェで考えていたらまたぐすんぐすんして来て、今度はハンカチまで必要になってしまって、気付けば開場時間が過ぎていた。
もうほんと、私は何をしに来たんだ。
田島貴男 弾き語りショーを観に来たんじゃないか。
会場に到着して、開演を静かに待った。久しぶりの国際フォーラム。
この開演前の空気感って大好き。みんななんとなくそわそわしてるよね。
ライブは、初めて参加したけれどもうすっごい楽しくて幸せだった。田島さんギターめちゃくちゃ上手い!一体何本使ったんだろう。その上お茶目で面白くって、みんなに愛されてるんだなぁって、温かい会場の雰囲気から伝わって来た。
立ち上がってリズムを取るのは女性で、叫ぶのはもっぱら男性。面白い。私は観客席を見回しながら、今日ここに集まっている人達は、どんな背景やモチベーションでこの会場まで足を運んだのだろうなんていうことを考えていた。
考えてみれば、時間やお金をかけてはるばるライブにやって来るのって大変なことだ。ASKAさんのライブに行っている時はそんなことを考えたこともなかったけれど、こうしてちょっと俯瞰してみるとつくづくそう思う。
ライブの素晴らしいところはやっぱり、アーティストの気を目の前で受けって、私達観客も気を返すというキャッチボールが出来ることなんだと思う。幸せな気持ちをそれぞれに持ち帰ることが出来て、私達の中に新たなエネルギーが湧いてくる。
それはやはりデジタルな音源を聴いているだけでは実現が難しいことだろうと思う。デジタルな音楽が普及するほど、ライブやレコードというアナログを求めるようになるのは人間の自然な希求という気もする。
目の前にその人がいてくれるって、とても幸せでフィジカルな作用があることなんだなって、そんなことを考えながらまた懐かしい道を歩いた。
遠くで眺めている人
今に始まったことでもないかもしれないけれど、私は、遠くで眺めている人になっているんだなぁと思うようになった。ASKAさんが新しいブログにお引っ越ししてからは、なんとなく、さらに遠くに感じるようになった。
それでも、ソロ曲アンケートには参加させてもらうことにした。以前のぴあ&ASKAのアンケートに参加出来なかったことを残念に思っていたから。
最終日の朝に、駆け込み投票。
そしていざ結果を見て、へぇーーーって驚いた。
上位13曲中、私が投票したのは「月が近づけば少しはましだろう」のわずか1曲だった。いろんな人が歌ってきたように、入ってないのか。good timeやBe freeは私の中で超・名曲なのだけど、20位以内にも入ってないのね。えぇー。
私としては純粋に、もし今ASKAさんの曲を10曲しか持てなくなったとしたら、どの曲を聴きたいだろうと思い浮かべながら選んだのだけれど、全然かすらないこの結果はなんなんだとしばし考えた。
夫にこの話をして、ためしにASKAさんの好きな曲を10曲書いてみてよと言ってやってもらったら、見事に10曲中8曲がランキングに入っている曲だった。へぇーーー、とまた驚いた。
そして私の選曲を見て、「いやぁ、これは選ばないねぇ…」と首を傾げた。
人の感性は本当それぞれに違うものなのだなぁと、選ばれた13曲をじっくりと眺めた。
その結果、残念だけれど私にはこのCDを手にする理由が見つけられなかったので、購入は見送ることにした。それに、CDプレーヤーは先日とうとう処分してしまった。この先CDを購入することはまずないだろうと思う。ハイレゾも、現時点での私の関心はそこまで高くない。そして私はやっぱりストリーミングで音楽を聴くことが好きだし、これから音楽を”所有”することは出来る限り少なくしたいと思っている。
ASKAさんの思いとは裏へ裏へといってしまう私はなんだか、遠くで眺めている人の中でも、さらに遠く離れたところにぽつんいるのだろうという気がしてきた。Fellowsとは、とても名乗れそうにないような気がする。
遠くのASKAさんは今の私にとって、どういう存在なのだろうと考えるようになった。
一連の出来事でたくさん流した涙や溢れ出る気持ちは一体どこに行ってしまったのだろう。
それらの気持ちが丸ごと、夜の貨物列車に乗せられてガタンゴトンと私の中から走り去っていってしまったのかもしれないという気がしてしまう。
私はASKAさんについてあとどの位、何をここに書けるのだろう。
書きたかったことが、まだたくさんあったと思う。そしてそれはきっと、心に火が灯り、そうせずにはいられない自分がいる時に成し遂げられる。出来ればもう一度、そういう心持ちになってみたいと思うのだけれど。
振り返ってみると、これまで私はASKAさんについて書きながら、それによって見えてくる自分自身についてを書いていたような気もする。
そしてそれは、ASKAさんという媒体がなかったら引き出せなかった類のものだろうとも思う。ASKAさんの音楽や出来事について言葉にしてみることで、はじめて浮き上がる自分の考えや感情に気付くことが出来た。
この過程で私が得た学びは今でも私の心の中で大切な位置を占めていて、決して消え去るものではないだろうと、そう思う。
この媒体がASKAさんでなくなったとして、学びが成り立ち続けるのか?というのは私にとって、重要な問いだ。
早々に答えは出せなさそうで、でも先延ばしするには時間は消えていってしまうから、今ここに私はこうして書いているのだと思う。
桜の花びらが、もう少し、散らないでいてくれますように。