alive in live

 

もう結構前だけれど、ずっと中身を改めることなく放置していた非常持ち出し袋を、やっと思い立って整理した時のこと。


こんなものが出てきた。

 

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2007年、alive in liveのツアーグッズで購入した、非常食のパンの缶詰。

 

買ったことすらすっかり忘れていて、タイムカプセルを開けたかのような気分になった。

 

賞味期限は一年間だったので、とっくに切れていた。どうしよう…。とりあえず開ける前に写真を撮っておくことにした。

 

 

撮っているうちにライブを懐かしく思い出してきたので、久々にDVDを観てみることにした。

 

後になって改めて観てみればだけれど、「これが最後という目でみられるライブにはしたくなかった」というASKAさんの想いと裏腹に、それがなんとも色濃く滲み出てしまっているステージな気がして、切なくなった。しんみりとしたライブだったなぁと思う。

 

でも当時会場でライブを観ていたその時の私は、alive in liveで感じた和やかな雰囲気に少しほっとしていた。

 

この年の初めに発売したDOUBLEというアルバムに、そしてその後のツアーでの様子に、少なからず引っかかるものを感じていたから。

 


alive in liveは収録の日と最終日に参加して、最終日のクリスマスイブは、後ろでメンバーがこっそりトナカイなどの被り物をして、二人はそれに気付かず歌っているというシーンがあった。とっても微笑ましくて、幸せな気持ちになった。

 

あの日、これが最後のライブと思いながら歌っていたなんて。想像もしなかった。

 

 

その後、2009年の年明けに解散報道があって、まもなく二人から無期限活動停止が発表された。

 

解散報道にはもちろんびっくりしてテレビの前で固まった。でも同時に、「やっぱりそうなのか…」という思いも湧いた。

 

このニュースを聞いた時に真っ先に思い出したのは、アルバムDOUBLEについて、「制作そのものがまだ終わってない気がして仕方ない」「描いていた輪郭のまま完成してしまった。こういう気持ちになっているのも、前回のアルバム制作がソロだったから」と語っていたASKAさんの言葉だった。その言葉の意味するところは何なのか、とても気になっていた。

 

でも結局のところ、何があってこういう結果になったのか、私はほとんど何も知らないに等しかった。

 


ニュースを見た朝、私は通勤途中の駅の売店で、スポーツ紙を買い集めて出社した。チャゲアス解散について各紙が一面で報道していた。

 

オフィスに着くと、みんなが一斉に神妙な面持ちで解散のわけを私に尋ねた。何で解散するの?やっぱり仲が悪かったの?よくある音楽性の違い?

 

知っていて当然の如く向けられたそれらの質問に、何ひとつ私は答えられなくて、歯切れの悪い反応を繰り返すしかなかった。

近くで聴いて来たけれど、知っているようで何にも知らなかったんだな、私。 

 


「30年間の複雑がそこにはあって、階層があって。でもそれらが表面化した時は単純な出来事として捉えられてしまう」

 

と後のインタビューで語ったASKAさんの言葉をその後、私は何度も思い返すことになった。

 

 

あれから月日が流れて、事件も起きた。さまざまな報道があって、人々の反応があって、たくさんの誤解も生まれたと思う。

 

色々な出来事を目の当たりにして、考えていたこと。

 

私達は、何故いとも簡単にこうに違いないと決めつけ、深く考えることなく結論付けてしまうのだろう?

 

答えの見つからない問いを、そのままの形で受け入れるにはどんな困難が伴うのだろう?

 

解ける見込みのない誤解はどこに解を求めればいいのだろう?

 


飲み込まなくてはならなかった言葉や、やり場のない怒りや、見せることのない涙がそこにはきっとある。

 

それらが受け止められることなくいつか消えてゆくのを待たなければならないとしたら、あまりに切ない。

 

 

「見えないものを、心の目で見るんだ」

 

そんなことを考える時、「美女と野獣」で野獣がベルに言った言葉をいつも思い出す。

 

目に見えるものが全てではない。見えないものにどこまで心を向けられるか。

 

大切なのは、答えにたどり着くことよりも、そこに想いをめぐらせること。

 

そういう気持ちを持っていたいと思う。

 

 

 

 

さて、10年近く前に賞味期限の切れたこの缶詰をどうしようか。

 

缶詰は結構期限が切れていても平気って言うから、ひょっとしたら食べられるかも…

 

ほんの少し期待を持って缶を開けてみたら、あまりの強烈な匂いに倒れそうになった。発酵しすぎの形容出来ない匂いだ。

 

缶詰の中でもこんなに発酵が進むんだ。

せっかく買ったのに食べられなくてごめんなさい。

 

つくづく、わからないことばかりだな。

 

星空

 

ある時しきりに考えていたこと。

 

星になった人達から見る星空は、どんな景色となって映っているのだろう。

星となってもまた見上げる星空があるのか、それとも四方見渡す限りの星の中にいるのか。

 

ふいに星になった人達は、そのわけを全て悟り、受け入れ、幸せを見つけているのだろうか。

 

夜空を見上げてうっかり涙をこぼしてしまうこともあるのかな。

そこに音楽があってくれるといいな。

 

 

ASKAさんが今月発表される新曲のタイトルが「星は何でも知っている」だと知って、そんなことを考えていたことを、ふと思い出した。 

毎月配信される楽曲を、まだ一度も購入したことがない私だけれど。

聴いてみたいなぁと思う。

 

 

先日、丸4年間住んだ静岡に別れを告げた。 


引越しのドタバタで、しばらく音楽自体をまともに聴く時間がなかったけれど、今夜、とても久しぶりに聴いてみた。

 

どうしてかやっぱり、聴かなくてはならない種類の音楽なんだな、私にとってASKAさんの歌は。

どうしてだろう?

 

ASKAさんの音楽が私にもたらしてくれるもの。

 

秋が深まる頃になったらもう少し、分かるかもしれない。

 

その落差が浮き彫りにするもの

ある時ふと、日本のポップシンガーと言ったらこの人って言うのは誰だろうと考えて、最初に名前が浮かんだ槇原敬之を聴いてみることにした。

 

マッキー。と言えば小学生の時に買った「どんなときも。」が初めて聴いた曲だった。イントロからメロディがとても印象的で、子供心にいい曲だなぁって思った。

 

その後、CDを購入したことはあまりなかったかもしれないけれど、好きな歌、口ずさめる歌がたくさんあった。

 

時は経て昨年の晩秋の私は、「ポップスって一体なんだろう?」ということについてしきりに考えていて、その定義を試みる一方で、たとえば最近のマッキーはどんな歌を歌っているのかとても興味が湧いた。

 

昨年発表のアルバム『Beliver』を聴いてみた。聴いてすぐ、おおおおーって感動した。なんて端正なポップスなんだ。メロディアスでバラエティーにも富んで、シリアスだったりユーモラスだったり、様々な景色を見せてくれる。

 

 

90年代のあの頃からずっと変わらず、クオリティの高い楽曲を世に送り続けていたのだろうなぁと思うとなんだか感慨深い気持ちになった。


これぞポップスだよねと思う一方で、では何をもってそうなのかと言ったらまだまだ考える余地がありそうなので、これはもう少し時間をかけて考えてみようと思う。

 

 

しばらく聴いているうちに気になってきたのは、そういえばマッキーも過去に事件を起こしていて、復帰作として発表した音楽はどんな内容だったのだろう?ということだった。

 

2000年発表の『太陽』というのがそのアルバムだった。一曲目から順番に聴いてみることにした。

 

きっとこのアルバムで重要な位置付けを占めているのは、アルバムと同名タイトルである「太陽」であったり「彗星」という曲なのだろう。どちらも長く聴かれ、愛されていく曲なのだろうと感じた。

 

でも私がこのアルバムを初めて聴いた時に、とても気になり、歌詞を読み返し、心揺さぶられたのは4曲目の「濡れひよこ」という曲だった。

 

“僕は濡れひよこ”というフレーズから始まり、イントロではピヨピヨと、エレクトロなヒヨコの声がする。なんだこの曲は?と若干訝しげに思いながら続きを聴いた。

 

濡れひよこが”ゴボウを笹掻きにしてきんぴらを作る”?なんてフシギな歌なんだ。

 

キッチンで料理をしながら曲を聴いていた私だけれど、歌詞を見ながらその先を聴いていたら、たいへん、泣けてきちゃった。

 

そうか、雨で濡れてしまっても、お風呂で暖まって、”ちゃんと乾かして寝れば もとのひよこ”なんだね。

 

なんかヘンテコな曲だなぁなんて思って聴いてたけれど、意外な展開に不意を打たれてしまった。

 

 


一体このなんとも言えない気持ちは何なんだろう?と考えていたのだけど、しばらくして、過去によく似た気持ちを体験していたことに思い当たった。

 

この曲が私に引き起こした気持ちって、ASKAさんの復帰アルバム『Too many people』の「それでいいんだ今は」を聴いた時に感じたそれと、とてもよく似ている。

 

それでいいんだ今は(REMASTER)

それでいいんだ今は(REMASTER)

  • provided courtesy of iTunes

それでいいんだ今は / ASKA の歌詞 (2569989) - プチリリ

 

この曲は、ポップなサウンドからどうしても滲み出てしまう切なさみたいなものがあって、そこに泣けてしまうんだよね。

 

軽快なビートに乗って”新しい始まり"を歌い出し、私は鼓動の高まりを感じながら、希望あふれる未来に想いを馳せて次の展開を期待する。

 

でも新たに開けた視界を見渡すと、そこにあるのは希望ばかりではないことにだんだん気が付く。

 

つとめて明るい曲調だけれど、奥底には悲しみや苦しみも見え隠れしていて、その落差が悲哀をかえって浮き彫りにしてしまう。

 

聴いているうちにじわりじわりとそれが表面に浮かび上がってきて、なんとも言えない切ない気持ちになってくる。上手く折り合いをつけられないアンビバレントな感情が生まれてくる。

 

 

この曲を聴いた時に感じた感情の揺れを、私は「濡れひよこ」でも体験したのだと思う。元気だよ、平気だよ、って言うけれど、その言葉を聞くほど抱えた悲しみが際立って来て切なく響いてしまう。

 

感情をそのまま表現するよりも、伝わる、伝わってしまうのって、どうしてなんだろうな。

 

言葉と音がどこまで寄り添うか、あるいは離れるか、色々とさじ加減があるのだろうけど、2曲ともそのバランスが絶妙なんだろう。

 

 

マッキーの曲を色々聴いているうちに、彼がどんな言葉を発しているのか興味が湧いたので追っていたら、意外なところでこの曲に言及しているインタビューを見つけた。

事件についてやその後の音楽制作の様子を音楽評論家の小貫さんが取材し、「うたう槇原敬之」という本にまとめたものだった。

 

うたう槇原敬之

うたう槇原敬之

 

 

ー『太陽』に「濡れひよこ」っていうテクノっぽい曲があるでしょ。ずぶ濡れのひよこの産毛も、乾いたあとは元のひよこ(笑)。あの再生のメッセージは滲みましたよね。(後略)

 

「でもテクノっておっしゃいましたが、もちろん僕はYMOが大好きなんですけど、自分なりの消化の仕方としては、"人間の気持ち"っていう、非常にあやふやなものを際立たせるための"正確なビート"であったりもするんですよ。だから逆にクールなようで熱かったりもするんです。実を言うと「濡れひよこ」って、21世紀へ向けての「どんなときも。」だったりするかもしれないんです」

 

正確なビートの中に感じてしまう"揺さぶり"というのは確かに身に覚えがある。これもまた落差が際立たせるものなのかな。不思議。

 

それにしても、小貫さんも滲んでいたなんて。ASKAさんの「それでいいんだ今は」を聴いた時、ひょっとして同じ感触を味わったかどうか聞いてみたい。

 

 

さて気付けばマッキーの最速プレオーダーを申し込んでいた私だけれど、それももう4月の話だ。

TIME TRAVELING TOURは、今夜、国際フォーラムで開催される。

今日の私は何を持ち帰ることになるのだろう。

 

東京の街で思い出したこと

3月の終わりの日、東京国際フォーラムに行く予定があった私は、新幹線に乗って東京へ向かっていた。

当日の朝ふと、一番最後に行ったASKAさんのライブはどこだったかなと思いを巡らせていたら、そうだ、今日行く国際フォーラムだったんだ、と思い出した。

2013年1月のRocketツアー。もう5年も前なんだ。

子供が生まれてからは、チケットを別の日で一枚ずつ取って、夫と交代でライブに行くということをしていた。

東京の初日は夫が参加して来て、どうだった?と聞いたら、「新聞見たろ?てなことだ。待たせたねー!」と言っていたと聞いて、きゃーっ!かっこいー♡ってはしゃいでいた。チャゲアス復帰発表当日のライブだった。

翌朝のテレビでもその様子を放送していて、今日のASKAさんはなんて言うのかしら、わくわく、とはやる気持ちを抑えられずに会場に向かった。

前から2列目という良席でASKAさんが登場するのをどきどきしながら待った。そして現れたASKAさん、「こんばんは」と言って会場の上方を見上げるので、はて?と思いながら私もつられて見上げたら、「色んな意味で空が青いね。待たせたねー!」だって。うんうん、待ってたよー。

本当に素晴らしいライブだったな、という感動が今でも残っている。ただその時の細かな記憶が、年月の経過とともに私の中でだんだん薄れていっているのも事実で、それがなんだかさみしい。この日の収録、いつか観られると良いなって思う。

 

そんなことを道々思い出しながら東京に着いた。
いつもは乗り換えで慌ただしく通り過ぎるだけの東京駅だけど、今日は時間があったので寄り道をしていくことにした。

長い間、私の職場であった丸ビルを訪れた。何年振りだろう。何となく身体が上手くこの場所にフィットしないような感触を感じながら、かつて毎日通った場所を懐かしく見回した。

このレストランは夫と初めてのデートで来たところだったなとか、ここに昔、何かのイベントでCHAGEさんがやってきて、見に来たんだよなぁなどと思い出しながら感慨深い気持ちに耽った。ASKAさんが着けていたネクタイを昼休みに探しに来たこともあったっけな。ASKAさんのネクタイ姿は今も昔も変わらず素敵だ。

 

一通り散策を終えて、丸ビルから歩いて国際フォーラムに向かうことにした。仕事の後、ここからASKAさんのライブに向かったことが何度かあったなぁと思い出していた。

2009年の昭和が見ていたクリスマスの日は金曜日で、私は終業時間ぴったりにPCをパタンと閉じて退社して、この道を歩いて足早に会場に向かったんだ。会場で合流した夫と、間に合ったねってお互い顔を見合わせた。

あの日の私は、長く一緒に働いていた上司とASKAさんの姿が重なってしまって、ライブ中ずっと泣いていたんだった。

若くして人の上に立ち、強力なリーダーシップで数百人を牽引してきた魅力あふれる上司が、突然そのポジションを離れることになってしまった。もう一緒に働けないのかと思うと悲くて仕方なかった。

こんな人についていきたいと常々思っていたので、その人をサポートする立場になれた時はとても嬉しかった。時間にいつも間に合わなくて、大事なものをよくどこかに忘れてきてしまって、自分の言ったことを忘れてしまう人だということが程なくして分かったけれど。とても人たらしで、若者の話しを愛情を持って聞いてくれ、年上の部下からも慕われるリーダーだった。

きっとASKAさんもこんな人に違いないっていつも思っていた。だっておんなじ魚座のA型。背中を見せることでメンバーを引っ張り常に戦っているけれど、そうではない弱い一面も時にあるのだということを知った。

大勢の観客の前で堂々と歌うASKAさんも、きっと外からは見えない色んな一面を持ち合わせているのだろうなって思ったら、延々涙が止まらなくって、およそライブを鑑賞するという状態ではなくなってしまった。ちゃんと聴けなくてASKAさんごめん、って思いながら観ていた。

 

春の気持ちよい日差しを浴びてゆっくり歩きながら、そんなことを思い出していた。この街にはたくさんの思い出が詰まっているな。目に入って来る景色の変化に気付いては、街が少しずつ姿を変えてきたように、私も歳を重ねたんだなぁと思った。

気付くと頭の中で「同じ時代を」を口ずさんでいた。どうも、色んなことを懐かしく思う年齢になってきたみたいだ。

そうしたらなんだかぐすんぐすん泣けて来て、信号待ちの横断歩道で涙をふいた。やだなぁ、もう。

 

それにしても、私は生身のASKAさんにもう5年も会っていないんだ。そんなに長くあいたことって考えてみればなかった。

その間、私がASKAさんについて考えたり言葉にしていくうちに、ASKAさんは私の中で、より観念的な存在となっていったのではないかという気がする。

日々更新されるブログの向こう側には、血の通った身体を持つASKAさんが存在しているはずなのに、なんだか上手く想像出来ない。その一方で私は言葉を綴りながら、何やら複雑に絡み合った思いを積み上げているような気もする。

ASKAさんが目の前で歌っている姿を見たら、その声を私の耳に直に届けてくれたら、きっと色んなことが全部吹っ飛んで、どうでも良くなってしまうんだろうなって思う。私はただ泣きながらじっと聴くのだろう。

会いたいんだろうなぁ、私。

 

 

なんてことを会場近くのカフェで考えていたらまたぐすんぐすんして来て、今度はハンカチまで必要になってしまって、気付けば開場時間が過ぎていた。

もうほんと、私は何をしに来たんだ。

田島貴男 弾き語りショーを観に来たんじゃないか。

 

会場に到着して、開演を静かに待った。久しぶりの国際フォーラム。

この開演前の空気感って大好き。みんななんとなくそわそわしてるよね。

ライブは、初めて参加したけれどもうすっごい楽しくて幸せだった。田島さんギターめちゃくちゃ上手い!一体何本使ったんだろう。その上お茶目で面白くって、みんなに愛されてるんだなぁって、温かい会場の雰囲気から伝わって来た。

立ち上がってリズムを取るのは女性で、叫ぶのはもっぱら男性。面白い。私は観客席を見回しながら、今日ここに集まっている人達は、どんな背景やモチベーションでこの会場まで足を運んだのだろうなんていうことを考えていた。

考えてみれば、時間やお金をかけてはるばるライブにやって来るのって大変なことだ。ASKAさんのライブに行っている時はそんなことを考えたこともなかったけれど、こうしてちょっと俯瞰してみるとつくづくそう思う。

ライブの素晴らしいところはやっぱり、アーティストの気を目の前で受けって、私達観客も気を返すというキャッチボールが出来ることなんだと思う。幸せな気持ちをそれぞれに持ち帰ることが出来て、私達の中に新たなエネルギーが湧いてくる。

それはやはりデジタルな音源を聴いているだけでは実現が難しいことだろうと思う。デジタルな音楽が普及するほど、ライブやレコードというアナログを求めるようになるのは人間の自然な希求という気もする。

 

目の前にその人がいてくれるって、とても幸せでフィジカルな作用があることなんだなって、そんなことを考えながらまた懐かしい道を歩いた。

遠くで眺めている人

今に始まったことでもないかもしれないけれど、私は、遠くで眺めている人になっているんだなぁと思うようになった。ASKAさんが新しいブログにお引っ越ししてからは、なんとなく、さらに遠くに感じるようになった。

それでも、ソロ曲アンケートには参加させてもらうことにした。以前のぴあ&ASKAのアンケートに参加出来なかったことを残念に思っていたから。
最終日の朝に、駆け込み投票。

そしていざ結果を見て、へぇーーーって驚いた。
上位13曲中、私が投票したのは「月が近づけば少しはましだろう」のわずか1曲だった。いろんな人が歌ってきたように、入ってないのか。good timeやBe freeは私の中で超・名曲なのだけど、20位以内にも入ってないのね。えぇー。

私としては純粋に、もし今ASKAさんの曲を10曲しか持てなくなったとしたら、どの曲を聴きたいだろうと思い浮かべながら選んだのだけれど、全然かすらないこの結果はなんなんだとしばし考えた。

夫にこの話をして、ためしにASKAさんの好きな曲を10曲書いてみてよと言ってやってもらったら、見事に10曲中8曲がランキングに入っている曲だった。へぇーーー、とまた驚いた。
そして私の選曲を見て、「いやぁ、これは選ばないねぇ…」と首を傾げた。

人の感性は本当それぞれに違うものなのだなぁと、選ばれた13曲をじっくりと眺めた。

その結果、残念だけれど私にはこのCDを手にする理由が見つけられなかったので、購入は見送ることにした。それに、CDプレーヤーは先日とうとう処分してしまった。この先CDを購入することはまずないだろうと思う。ハイレゾも、現時点での私の関心はそこまで高くない。そして私はやっぱりストリーミングで音楽を聴くことが好きだし、これから音楽を”所有”することは出来る限り少なくしたいと思っている。

 

ASKAさんの思いとは裏へ裏へといってしまう私はなんだか、遠くで眺めている人の中でも、さらに遠く離れたところにぽつんいるのだろうという気がしてきた。Fellowsとは、とても名乗れそうにないような気がする。


遠くのASKAさんは今の私にとって、どういう存在なのだろうと考えるようになった。
一連の出来事でたくさん流した涙や溢れ出る気持ちは一体どこに行ってしまったのだろう。

それらの気持ちが丸ごと、夜の貨物列車に乗せられてガタンゴトンと私の中から走り去っていってしまったのかもしれないという気がしてしまう。


私はASKAさんについてあとどの位、何をここに書けるのだろう。

書きたかったことが、まだたくさんあったと思う。そしてそれはきっと、心に火が灯り、そうせずにはいられない自分がいる時に成し遂げられる。出来ればもう一度、そういう心持ちになってみたいと思うのだけれど。

 

振り返ってみると、これまで私はASKAさんについて書きながら、それによって見えてくる自分自身についてを書いていたような気もする。

そしてそれは、ASKAさんという媒体がなかったら引き出せなかった類のものだろうとも思う。ASKAさんの音楽や出来事について言葉にしてみることで、はじめて浮き上がる自分の考えや感情に気付くことが出来た。

この過程で私が得た学びは今でも私の心の中で大切な位置を占めていて、決して消え去るものではないだろうと、そう思う。

 

この媒体がASKAさんでなくなったとして、学びが成り立ち続けるのか?というのは私にとって、重要な問いだ。

 

早々に答えは出せなさそうで、でも先延ばしするには時間は消えていってしまうから、今ここに私はこうして書いているのだと思う。

 

桜の花びらが、もう少し、散らないでいてくれますように。

音楽を想う。考える。

キッチンで料理をしながらASKAさんの歌を聴いていたら、夫が突然、
「あれ、ルネサンス?」
と言った。

意味が全然分からなくて「はい?」って聞き返したら、
「文芸復興」

だって。
そうだよ良く気付いたね。だって大分聴いてなかったものね。

でも色々あったんだよ私の中ではね。

 

 

 

去年の秋頃から、私の生活をとりまく音楽の深度が急速に増していった。

そしてそれは、音楽ストリーミングサービスのSpotifyを利用し始めたことが明確なきっかけとなった。

始める前は、利用することに若干の戸惑いがあったことを覚えている。フリープランではシャッフル再生という制限がつくけれど、音楽が無料で聴き放題となる。

無料でなんでも聴けてしまったら、そのありがたみは半減してしまうのではないか。音楽に敬意を払わなくなってしまうのではないか。そんなことを考えていた。

 

なによりASKAさんは以前より、「音楽が手軽なものになって、音楽としてのポジションを失ってしまった」と、音楽が聴き放題になることに懸念を示す発言をしていた。

私にとって長い間、特別な響きをもって音楽を届けてくれていたASKAさんが発するその言葉は思いのほか重くのしかかった。

 

でも本当にそうなのか。自分で確かめてみなければ分からない。
だからやっぱり利用してみることにした。

 

その結果は予想に反して、私が抱いた戸惑いを払拭し、価値ある音楽体験を与えてくれた。


聴き始めた頃にまず感激したのは、ハワイで過ごした中高時代、ラジオで毎日聴いたポップソングス達との邂逅だ。

好きだったシンガーの曲はもちろん、誰の何の曲だったかも知らないけれど確実に身体に刻まれていた数々の曲たちに再会できたのは、Spotifyの魅力的なプレイリストのおかげ。

そして今まで関心があったけれど購入には至らなかった人達の曲を聴いたり、ジャンルやユーザーの嗜好に基づいたプレイリストからお気に入りの曲を発見するのもエキサイティングな体験だ。

クラシックにジャズ、ポップスとあらゆるジャンルの音楽を様々な切り口で体験し、新たなアーティストや曲との出会いに魅惑される日々が続いている。

 

そんな中で気付いたのは、ストリーミングによって音楽の価値が下がるどころか、私にとってそれは一層増して大切でなくてはならないものになり、音楽、そしてそれらを生み出すアーティスト達への敬意が高まっていったということ。

手軽になったのは音楽の聴き方であって、音楽そのものではないのではないか。

音楽の価値はどんな聴き方であっても不変であると、私にはそう思えた。

 

とはいえアーティストの立場に立てば、また違った捉え方があるのもまた確かなのだろう。心血注いで創作したものが、結果的にユーザーにとって無料で提供されるのは容認できるものではないという考えがあっても、それはとても理解出来る気がする。

 

ある時期、CDは何故どれも同じような値段で販売されているのだろうと疑問に思ったことがあった。

そこに注がれた資源なりコストはそれぞれに違うはずだし、出来上がったもののクオリティや価値は一律に同じではないのではないか。一流のフレンチレストランとカジュアルなブラッスリーでの食事代は違って当然だ。

これには、CD販売が複製を販売し、権利で利益を得るという構造であることが背景にあるのかもしれない。

そうだとしても、本当の価格は同じではないだろうという思いがあった。

だからASKAさんのアルバムToo Many Peopleに3,780円という価格がつけられたことを知った時、私はとても嬉しく思った。だってASKAさんの音楽はそれだけの(あるいはそれ以上の)価値を生み出していると思うし、販売したい価格で世に出すというのは大切なことだと思ったから。

 

そういう想いを持ってこのCDを購入して、大切に聴いて来たのだけど、いざストリーミングが私の前に現れたら、その考えが揺らいできた。

コンテンツの中身が何であるにせよ、その形態がデジタルなデータである以上、クラウド化されて流通していくのはごく自然な流れなのではないかと思えた。企業の基幹システムも、メールも写真も映画もそのように発展してきた。

音楽もその延長線上にあるもので、ストリーミングという形で提供されていくのは妥当な変化であると感じられた。

 

Spotifyのフリー会員は無料だけれど、すべての再生に対してアーティストへの印税が支払われている。

世界に目を向ければ、ストリーミングの成長が音楽市場の回復に寄与しているのも事実だ。

Spotifyを利用していると、なにより音楽への情熱をひしひしと感じる。もっとユーザーに音楽を楽しんでもらいたい、知ってもらいたいという意気込みが伝わってくる。

だから私はたちまちSpotifyが大好きになったし、有料会員を選択した。Spotifyのおかげで日々素晴らしい音楽に出会えることにとても感謝している。

 

ストリーミングへのシフトという大きな変化の中で、個々のアーティストがストリーミングに参加するかどうか、どこまで参加するかというのはそれぞれの考えによるものだし、当然尊重されるべきものだろう。


その一方で、ストリーミングで音楽を聴くたびに、私はASKAさんとは違う温度感を持って、まったく異なる景色を見ながら音楽に接しているのかもしれないと思ったら、なんだかそれは悲しいことのような気がしてきた。


音楽を愛する気持ちにきっと変わりはない。ASKAさんがストリーミングに参加しないということも私にとって大きな問題ではない。ASKAさんがダウンロード配信サイトを立ち上げたことはとても素晴らしいことだと思うし、その理念に心から共感もする。


でもたくさんの音楽を聴いて好きになるほど、ストリーミングがもたらす音楽体験にのめり込んで行くほど、ASKAさんと私の間の、共有できるはずのものが少しずつ失われていっているような気がした。出来ることなら、同じ気持ちを持って音楽を楽しめたら良かったのに。

 

 

Black & Whiteを聴いてみた。

もうCDはやめて配信にしようか大分迷って、やっぱり特典の「黄昏を待たずに」が聴きたくて購入したCD。結局、こちらは今も開封していないのだけれど。

“あなたと僕は同じ音の人”とASKAさんが歌うBlack & Whiteを聴きながら、私は果たして同じ音の人なのだろうかと考えた。

そうであったら良いとずっと思っていたはずだけれど、違うのかもしれない。知っているようで、本当は知らないことばかりだ。

 

どうも気持ちが乗り切らないまま聴いてしまったけれど、何度か聴いているうちに、洋風な雰囲気を感じた。

そしてこのアルバムが、ASKAさんが言及していたポップス、共有というものを体現したものであるのだろうということをおぼろげに感じた気がした。

 

でもポップスってなんだろう。共有できるものとは一体どんなものだろう。どの辺を洋楽的と感じるんだろう。

分析的に聴き始めたけれど、だんだんつまらなくなった。音楽を楽しむというのはまず理屈抜きの良さを感じることなはず。乗らない気持ちを分析ですりかえても続かない。

Black & WhiteもASKAさんの音楽もやめて、聴きたい音楽をひたすら聴くことにした。

 

 

オリジナルラブってこんな良い曲歌ってたんだ、かっこいい。浜田省吾ってすごいいい声じゃないか!! 子供の頃遠くで鳴っていたけれど反応できなかった音楽を改めて聴いて、新鮮な想いで楽しむ。

最近の人だって面白い。娘がパパとラジオで聴いた打上花火という曲が良かったというから一緒に聴いてみた。DAOKO。6歳の子をも惹きつける力ってなんだろう。

平井大やシンリズムはSpotifyのプレイリストのおかげで知ることが出来た。黒木渚も好き。宮﨑薫ちゃんはアルバム2枚とも持っているけれど、せっかくならSpotifyで聴こう。だってとっても応援してる。

 

洋楽は、90年代のポップスやエド・シーランにアデルも聴くけれど、ある日の朝はまずポリスを聴いた。

ポリスのページに関連アーティストとして出ていたデュラン・デュランを聴き、さらにそこで表示されていたJoe Jacksonという名前が気になり聴いてみる。あれ、これってものすごくオリジナルラブだよね?としばし興味深く聴いた。その後はそろそろColdplayが聴きたい気分になって再生し、MUSEに行き、気付いたらイギリス続きなので、R.E.Mを聴くことにした。Losing My Religionという曲はどこかに行きそうなのにどこにも行かなくて、でもなんだか浮遊している感じがすごくいい。

そのうち女性シンガーを聴きたくなった。ダイアナ・クラールのWallflowerを聴こう。大好きなこのアルバムは、数少ない手放さなかったCDの一つだ。Desparado、本当に好き。ASKAさんも聴いたかなぁ。色々聴いて、最後はやっぱりジャズが聴きたくなってビリー・ホリデイエラ・フィッツジェラルドを聴いて今日はおしまい。

こんな風にあっという間に時間が経っていく。

 

音楽を聴きながら毎日、色々なことを考えた。

ポップスとは、その存在意義とは。どんなものが時を超えて残っていくのだろう。大衆的とは、普遍的とは。洋楽と邦楽の違い。メロディと言葉はどんな関係にあるのだろう。私達は何故音楽を必要として、これからの音楽はどうなっていくのか。テクノロジーは音楽にどのように貢献していくのか。

考えるほどに、音楽への感謝の気持ちが増していった。

 

気付けば私の音楽的日常にASKAさんが現れることはすっかりなくなっていた。ストリーミングが私に与えてくれる新しい音楽体験に没頭することで、もやもやとした気持ちが目立たなくなっていく気がした。

 

音楽が好きだ。

 

シンプルだけど、明確な想いがいつしか私の中に立ち上がっていた。

 

そしてある時、ふとASKAさんを聴いてみようかなと思う日がやってきた。今ならフラットに聴けるという気がした。

 

これまでと違った立ち位置で聴くASKAさんの音楽は、新たな佇まいを伴って私に響いた。たくさんのインプットを経て、純粋に音楽として向き合うことが出来たのかもしれない。

ASKAさんの歌や声や言葉や哲学のどんなところが好きでどこに共鳴するのか、今までよりもう少し分かった気がした。

そして結局のところ、私はASKAさんの音楽が好きであることに変わりはなくて、それだけで十分だったことに気が付いた。

 

 

一体私はいつどこでくぐり抜けたのだろう。


雨模様の中では、花がどこに咲いているかも見分けられないことがある。でもずっと足元に咲いてくれていたんだ。言葉よりもやさしいお花を、いつも一緒に育てて来たんだった。なんでうっかり見落としちゃうんだろう、私。

 

同じ音の人であっても、音楽から日常まですべての出来事に同じ和音を添えるかと言ったらそうではないだろう。

和音の一音の違いはその場では違和感のある響きとなるかもしれないけれど、全体を見渡せばそんなに大したことではないのかもしれない。

 

あるいは同じ和音の話をしているはずなのにどうも話がかみ合わなかったら、それはキーが違うのかもしれない。

キーが違えば同じ和音を奏でても響きも見える景色も違う。そうしたら一歩踏み出して転調してみることだってできる。そうか、こんな響きを持っていたのかと気付けるだろう。

 

どっちだっていいよね。

大切なのは、そこに共有できるものが存在するということ。

そうして私はやっぱりnot at allを聴いて、そうだよねって深く頷く。

ずっと聴いてきたことの重みを、しっかりとかみしめてみる。

ありがとう。

温かいポジティブな代償

思えば、私が言葉について考えを巡らせるようになったのは、ASKAさんのブログがきっかけだった。

ブログが始まった当初、ネット上にはASKAさんについてのたくさんの意見が溢れていて、それが自分に向けられたものではなくとも、胸をえぐられるような気持ちになる言葉が飛び交っていた。

 

言葉のナイフは一度放たれたらそれはもう落ちるところを知らなくて、受け止められる人もいないまま、どこまでも人の心を突き刺し続けているような気がした。

はたから見ている私でさえこのような気持ちになるのに、この言葉を自分に向けられるというのはどんなものなのか、とても想像出来なかった。私にはとても、耐えられそうにないと思った。

 

言葉は一度放ったら、もう自分だけのものではなくなり、取り消せるものでもない。だからどのような意見を表明し、それをどのような言葉で表現するか、よくよく考えなくてはならない。
とういうのがそこから得た私の教訓だった。

 

その上で私は、このブログに言葉に綴ることにした。自分が向かいたい景色に向かって、言葉を書きたいと思った。それは心地よい和音を探して奏でることにも似ている気がした。そして、自分がそこに何度でも戻って来たいと思える言葉を書きたかった。

 

ある時、村上春樹のエッセイを読んでいたらこんな言葉に出会った。

何かを非難すること、厳しく批評すること自体が間違っていると言っているわけではない。すべてのテキストはあらゆる批評に開かれているものだし、また開かれていなくてはならない。ただ僕がここで言いたいのは、何かに対するネガティブな方向の啓蒙は、場合によってはいろんな物事を、ときとして自分自身をも、取り返しがつかないくらい損なってしまうということだ。そこにはより大きく温かいポジティブな「代償」のようなものが用意されていなくてはならないはずだ。- 村上朝日堂はいかにして鍛えられたか

 

温かいポジティブな代償。
なんて素敵な言葉だろうって思った。

 

好きなものを好きだという時には、多少言葉足らずだったとしても、思いが行き違うことはそんなにない。でも否定のメッセージを伝える時には、細心の注意と大きな覚悟が必要だ。そしてそれは、そこに温かくポジティブな代償が用意出来る時にだけ、伝えるべきものなのだと思った。

この村上さんの言葉はその後、私の大切な指針となった。

 

そして今。
アルバムBlack & Whiteが私の中で、上手く響かない。一度や二度聴いて分かるものではないのは当然だろう。でも、聴くという物理的行為に至ることがそもそも難しい。

そしてその理由は、この作品そのものに起因するものだけではないということにも気付いている。心がひとつの色で塗られてしまっているから、なんだ。

ぐるぐるとめぐる袋小路のような思考をどうしたら良いのだろう?と考える日々が続いた。

言いっ放しの批判は簡単だ。あるいは何も語らず離れるということも出来る。あえて深く向き合うことを選ばなくたっていい。

 

では、本当に言葉にして発する必要があるというのはどんな時なんだろう。ポジティブな代償を差し出せるかというのは、もしかしたら副次的な要件のような気もする。

それは、言葉にすることが、批判そのものが目的でもなく、自分を損なうことに繋がることでもなく、自分を保つために必要な時、かもしれないと思った。言葉にしないことが、自分を損なうことになる時、と言い換えられるかもしれない。

そうだとしたら、やっぱり私は向き合わなくてはいけないのだろうな。

 

「手を振ってサヨナラした人にまた出会った時に、「やあ、久しぶり」って笑顔で手を握る関係を作っておきたい」

と語るASKAさんのインタビューを読んだら、ますますそう思った。私も、そうありたい。

音楽だけで抱き合えてたら、楽なのに。

だって久しぶりにnot at allを聴いたら涙がいっぱい出た。涙が出るというのは共鳴のひとつの形なんだ。

向こう側の景色を想像してみる。この歌が伝えてくれた大切なこと。

私は、どこかひとつを、くぐり抜けられるのだろうか。