alive in live
もう結構前だけれど、ずっと中身を改めることなく放置していた非常持ち出し袋を、やっと思い立って整理した時のこと。
こんなものが出てきた。
2007年、alive in liveのツアーグッズで購入した、非常食のパンの缶詰。
買ったことすらすっかり忘れていて、タイムカプセルを開けたかのような気分になった。
賞味期限は一年間だったので、とっくに切れていた。どうしよう…。とりあえず開ける前に写真を撮っておくことにした。
撮っているうちにライブを懐かしく思い出してきたので、久々にDVDを観てみることにした。
後になって改めて観てみればだけれど、「これが最後という目でみられるライブにはしたくなかった」というASKAさんの想いと裏腹に、それがなんとも色濃く滲み出てしまっているステージな気がして、切なくなった。しんみりとしたライブだったなぁと思う。
でも当時会場でライブを観ていたその時の私は、alive in liveで感じた和やかな雰囲気に少しほっとしていた。
この年の初めに発売したDOUBLEというアルバムに、そしてその後のツアーでの様子に、少なからず引っかかるものを感じていたから。
alive in liveは収録の日と最終日に参加して、最終日のクリスマスイブは、後ろでメンバーがこっそりトナカイなどの被り物をして、二人はそれに気付かず歌っているというシーンがあった。とっても微笑ましくて、幸せな気持ちになった。
あの日、これが最後のライブと思いながら歌っていたなんて。想像もしなかった。
その後、2009年の年明けに解散報道があって、まもなく二人から無期限活動停止が発表された。
解散報道にはもちろんびっくりしてテレビの前で固まった。でも同時に、「やっぱりそうなのか…」という思いも湧いた。
このニュースを聞いた時に真っ先に思い出したのは、アルバムDOUBLEについて、「制作そのものがまだ終わってない気がして仕方ない」「描いていた輪郭のまま完成してしまった。こういう気持ちになっているのも、前回のアルバム制作がソロだったから」と語っていたASKAさんの言葉だった。その言葉の意味するところは何なのか、とても気になっていた。
でも結局のところ、何があってこういう結果になったのか、私はほとんど何も知らないに等しかった。
ニュースを見た朝、私は通勤途中の駅の売店で、スポーツ紙を買い集めて出社した。チャゲアス解散について各紙が一面で報道していた。
オフィスに着くと、みんなが一斉に神妙な面持ちで解散のわけを私に尋ねた。何で解散するの?やっぱり仲が悪かったの?よくある音楽性の違い?
知っていて当然の如く向けられたそれらの質問に、何ひとつ私は答えられなくて、歯切れの悪い反応を繰り返すしかなかった。
近くで聴いて来たけれど、知っているようで何にも知らなかったんだな、私。
「30年間の複雑がそこにはあって、階層があって。でもそれらが表面化した時は単純な出来事として捉えられてしまう」
と後のインタビューで語ったASKAさんの言葉をその後、私は何度も思い返すことになった。
あれから月日が流れて、事件も起きた。さまざまな報道があって、人々の反応があって、たくさんの誤解も生まれたと思う。
色々な出来事を目の当たりにして、考えていたこと。
私達は、何故いとも簡単にこうに違いないと決めつけ、深く考えることなく結論付けてしまうのだろう?
答えの見つからない問いを、そのままの形で受け入れるにはどんな困難が伴うのだろう?
解ける見込みのない誤解はどこに解を求めればいいのだろう?
飲み込まなくてはならなかった言葉や、やり場のない怒りや、見せることのない涙がそこにはきっとある。
それらが受け止められることなくいつか消えてゆくのを待たなければならないとしたら、あまりに切ない。
「見えないものを、心の目で見るんだ」
そんなことを考える時、「美女と野獣」で野獣がベルに言った言葉をいつも思い出す。
目に見えるものが全てではない。見えないものにどこまで心を向けられるか。
大切なのは、答えにたどり着くことよりも、そこに想いをめぐらせること。
そういう気持ちを持っていたいと思う。
さて、10年近く前に賞味期限の切れたこの缶詰をどうしようか。
缶詰は結構期限が切れていても平気って言うから、ひょっとしたら食べられるかも…
ほんの少し期待を持って缶を開けてみたら、あまりの強烈な匂いに倒れそうになった。発酵しすぎの形容出来ない匂いだ。
缶詰の中でもこんなに発酵が進むんだ。
せっかく買ったのに食べられなくてごめんなさい。
つくづく、わからないことばかりだな。