自分のためにやりきる

 

「自分の仕事をつくる」という、「いい仕事」の現場を訪ねたインタビュー記録の本を読んでいる時、こんなエピソードに出会った。

それは、あるピアノ奏者に「音楽家にとって、もっとも重要な能力は何か?」という質問をしたところ、迷わず「聴く能力」であると答えたという話で、そのピアノ奏者は、

「もし「自分は十分にいい音が出せている」と感じたら、そこがその人の音楽の上限となる。だから、常に聴く能力を磨き続けることが必要である」

と話したという。

 

これを読んだ時、ASKAさんの過去のインタビューの言葉の数々を思い出し、数珠のように繋がってきた。「ずっと勝負にこだわっていく」という意識がなくなったときは曲に対して「完成だ」と思う道のりが早くなるということ(音楽専科 2002 Winter)。才能があるからこそ他者の才に気付くことができ、己の才能に磨きをかけられるということ(ぴあ&ASKA 2012)。時間=命を費やして深みに入るということは、色々な感覚を身に付けるということで、その感覚を身に付けた者同士しか分からないことがある。表面にはない、深いところにあるものに気付いていくことを、作り手として大切にしたいということ(Rolling Stone 2012.11)。

 

その結果というのはもしかしたら、聴き手が念入りに聴いても、気付くことがないのかもしれない。そこまでやらなくても良いと思う人もいるのかもしれない。だけれど幼き日のスティーブ・ジョブス父親に「良いものを作りたければ、たとえば見えないタンスの裏側まで美しく仕上げることだ」と言われ、その哲学を貫いたように、ASKAさんもまた、見えないところまで徹底的にこだわり、常に革新を続けていっているのだろうと思う。

 

そしてきっと、自分のためにやりきったという達成感が、作品に真の輝きを与える。それは見えないところで伝わり、聴き手にとっても代替のない喜びを生み出すことに繋がるのだろう。もしそこに妥協が1ミリでも存在したら、その曇りを聴き手はきっと、見逃さないだろうと思う。

自分の喜びのため、という究極の行動源泉が、受け取る人にとっても喜びをもたらすんだな。アダム・スミスの見えざる手みたい。Man and Womanも、そういうことかもしれない。やがて生まれてくる自分のために。

 

ASKAさんは、深さを追及する一方で、歌という形になった時にリスナーと共鳴しあえる絶妙なバランスを生み出していると思う。己の世界の深さと、普遍的なものの両立。このバランスはどうやって生み出されるのだろう。私にとって、ASKAさんの歌に惹かれる最大の理由かもしれない。

 

そんなことを考えていたら、夜が更けた。

Too Many PeopleのMVを観て、感無量になった。届いた時、パッケージに本当に「+いろいろ」って書いてあって思わず笑ってしまったけれど。お茶目なASKAさん。私の中にもいろいろな想いの断片が発生したけれど、私のCPUはとっても処理能力が遅くて非効率で、まだ上手く処理できなそう。想っていること、書きかけのこと、たくさんあってもそのうちそのままどこかにいってしまうこともしょっちゅうだな。そういえばファンレターだって、投函したのはたったの1通だったけれど、書きかけて完成しなかった手紙、何通かあったっけ。

 

でもそんな私が、ここに言葉を綴ることをほんの少しずつでも続けていられるのは、そこに自発的な喜びが存在するから。そしてそれは、ASKAさんが大股で歩く姿を日々見つめられるという喜びによって増大し続ける。

だから毎日、どうもありがとう。