25年分のラブレター

ASKAさんへの想いや思い出を綴るブログ

あの日とそれから 2

 

やり場のない気持ちを、慌ただしい引っ越しの準備が紛らわしてくれた。合間を縫って、日々友人達と会い別れを告げた。時々ASKAさんのことで私を心配してくれる人がいたけれど、なんだか何にも上手く言えなかった気がする。

夫に遅れて7月の終わり、静岡市での新たな生活がスタートした。

間も無くして、つわりがはじまった。

そのつわりは今回もとても重くて、私は一日中起き上がれない日々が続いた。

それでも裁判の行方が気になり、テレビやネットニュースを毎日追っていた。

衝撃的なことばかりが目に入ってくる。知りたくないという気持ちがある一方で、これらが世に放たれている以上、目を背けるわけにいかないという気もした。

そして知ることも辛いけれど、これらを世間に知られなくてはいけないASKAさんの心境を想像すると、もっと辛かった。

私は一日中、暗い部屋に突っ伏して過ごした。事件も、つわりも、新しい家も土地も、何もかもがいやになりそうだった。

ただ日々が過ぎていくのを、ひたすらにやり過ごしていた。

 

 

2015年4月。息子は、誰かが夢で教えてくれた通り、桜が満開の中生まれてきてくれた。

新しい生命の神秘に、心奪われる日々が始まった。

二人の音楽を、聴けない日々から、聴かない日々に変わっていった。不思議な位、聴きたいという欲求が起きなかった。

夫が時折、「本当に聴かなくなったね」と言った。
「そうだね」と私は返した。

 


それから、どの位経った時だろう。季節がもうすっかり変わっていたある時。
車で家族で遠出した時に、夫が何の前触れもなく、突然ASKAさんの曲をかけた。

「月が近付けば少しはましだろう」だった。

イントロが流れて、驚きととともに、涙が止まらなかった。知らないうちに心の奥底に溜まっていた感情が溢れ出していた。

私は、ASKAさんの音楽を欲していることに気付いた。頭で考えていることとは別のところで、聴きたがっていたようだった。

空白の日々を埋め合わせるように、それから毎日、ASKAさんの音楽で身体をいっぱいにしていった。


2016年の年が明けて間も無く、ASKAさんが700番という名の手記を発表したとニュースで知り、すぐに見た。冒頭の謝罪とASKAさんの言葉を泣きながら読んだ。やっとASKAさんの言葉を聞けるんだ。

でも、明け方までかかって読み終えた私は、茫然としていた。何が何だか分からなかった。恐怖さえ感じてしまった。盗聴は事実なのか、薬物の影響なのか、私にはとても、判断がつかなかった。

もしかしたら、ASKAさんはとても深刻な状態なのかもしれないと思った。もうASKAさんの姿を見られなくなることを、覚悟する必要があるのかもしれないという考えが頭をよぎった。それはとても辛いことだけれど、その時の私にはそれ位、そう思えてしまうものだった。

複雑な想いをまた抱えることになってしまった。この気持ちにどう折り合いをつけたら良いのか、考えても答えが出なかった。


それから半年経った7月、ASKAさんがまたブログを開設したと知り、とても驚いた。訪れてみると、そこには確かにASKAさんの言葉があった。

ASKAさんの生の言葉を聞けるという素直な喜びの反面、葛藤もあった。まだ色々と腑に落ちていない、わだかまりのようなものがあったから。裁判の主張の食い違いや、盗聴のこと、病気ではないとする主張。そういったもの。

でもブログ開始から数日後、ASKAさんの姿をテレビで見て、私の心は大きく揺れ動いた。2年振りに見る、ASKAさんの姿。ずっと大好きで、その音楽を愛して、姿を追い続けてきた人。何か、突き動かされるものがあった。

私もブログを書いてみることにした。自分の気持ちを、どうしても書き留めておかなくてはならない気持ちになっていた。ただその時の私には、現在起きていることについての想いを綴るには、あまりにも自分と出来事との距離がまだ、掴みきれなかった。だから過去の思い出を、少しずつ振り返っていくことにした。

 

日々更新されるASKAさんのブログをどきどきしながら読んだ。ASKAさんの言葉から、景色や色を感じ取ってみたり、時折想いをコメントという形で言葉にして行く中で、自分の中にあった、色々なわだかまりが消えていくのを感じていた。言葉には不思議な言霊がある。表現した通りに、自分がなっていく。


11月に入った頃、私はこの逮捕からの一連の出来事について少しずつ文章に書き出して、一通り完成した。

その時々の様々な感情や葛藤を思い出しながらもそれに向き合い言葉にすることで、それらが浄化していくのを感じた。書くことで癒されるものってあるんだなと思った。

でもしばらくして読み返したら、ふと気付いたことがあった。

私は、ASKAさんの事件でとても悲しい思いをしたけれど、ASKAさんにとってはどうだったのだろう?

ASKAさんは、どれだけの涙を流したのだろう。

どれだけの、孤独と苦しみを味わったのだろう。

どれだけ後悔して、心を引き裂かれて、傷付いたのだろう。

ASKAさんにも、同じだけの悲しみがあったのだと、私はそこで初めて思い至った。

過ちを責めることは簡単だけれど、私にはもし自分だったらと想像することさえ出来ない。

前を向いて歩くことは、どれほどの勇気が必要なんだろう。

こんなに苦境に立たされても、ASKAさんは全てを背負って立ち上がり、また歩き始めようとしている。

そんなASKAさんを心から応援したいという気持ちに変わりはないけれど、私はもしかしたら、大切なことを見落としていたのかもしれない。

それって何なんだろう。しばらく考えを巡らせていたら、ふいにその頃良く聴いていた、めぐり逢いのフレーズに心を掴まれた。


恋で泣かした人と 恋で泣かされた人
同じ罪を振り分けてもいいね いいね


同じ罪を、悲しみを、振り分けてもいいよね。そう思ったら、夜じゅう涙が止まらなかった。気付かなくって、ごめんねって思った。

一緒に生まれあって、幸せを分けあって、悲しみあえる私達。
そういう私達でいたいと思った。

ASKAさんのことで悲しんだのに、どうしていつも、ASKAさんの歌や言葉に救われるんだろう。ASKAさんも、そういうことってあるのかな。

 


この文章は、11月28日にアップするつもりでいたけれど、その日、ASKAさんの2度目の逮捕があって、長い間行き場を失ってしまった。その後に続いたたくさんの出来事と経験を経て、今やっと送り出せる時期を迎えられた気がする。

 改めて振り返ってみて、そこにはやっぱり、通らなくてはならない道があって、果たさなくてはならない約束があったのだと思う。ASKAさんにも、私達にも。

肉体を持って生まれて、痛みを感じることが必要だったから、その出来事は起きた。様々な困難に立ち向かいながら、返さなくてはならないものを、ひとつずつ返していく。次の場所へ行くために。

学びというのは、誰かに教えられるものではなくて、自らの体験を伴って体内に刻まれた時に、はじめて自分のものになるのだと思う。そこを今私達は、くぐり抜けている。

 

きっとみんな、最後に辿り着くところは同じ。愛に近付いていく。

また、ASKAさんの歌詞を借りちゃったよ。

たくさんの学びに、やっぱり私はただ感謝の気持ちしかなくて。

ASKAさん、どうもありがとう。