25年分のラブレター

ASKAさんへの想いや思い出を綴るブログ

あの日とそれから 1

 

もうすぐ3歳になる娘が、みんなとブランコを取り合っては揺らしていた。

5月の春の陽気が気持ちの良い土曜日の朝だった。私達は、保育園の懇談会に参加して、終わるとみんなで近くの公園に向かった。思い思いに遊び回る娘と子供たちを、夫と微笑ましく眺めていた。

私達家族は一足早く皆に別れを告げ、近くのお店で昼食をとることにした。上池台の、のんびりした商店街。ちょっと早いけど、冷やし中華が食べたかったんだ。2014年5月17日のその日は、お昼前にはもう陽射しがとっても強くて、公園で太陽をいっぱい浴びた私達は、暑いくらいだった。

お店に入ると、お客さんは私達の他に家族連れが一組だけで、がらんとして静かだった。食事が運ばれて来て、私は視界の正面にあったテレビをなんとなく眺めながら、食べ始めた。

まったりと流れていた時間が、ニュース速報によって突然遮られた。

 

"CHAGE and ASKAASKA容疑者を覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕" 

 

えーーーーーっ?
えーーーーーっ。

何度言ったか分からないくらい、一人連呼してしまった。

隣の家族がテレビ画面を見ながらヒソヒソ話している。

友人がこのニュースをすぐにFacebookに投稿したようで、それを読んだ別の友人が、私の名前をタグ付けてそこに書いたコメントの通知が来た。

「Romi、やっぱり本当だったんだ…」

そんなこと、私、知らないけど。

やっぱり本当、だったんだ。

 

前年の夏に記事が出た時、きっとその通りなのだろうと思っていた。とてもショックだったけれど、ASKAさんも一人の人間だったのだと思って受け入れようとしていた。

でもその後、ファンクラブの会報でのASKAさんのメッセージを読んで心が揺らいだ。違法なことは一切やっていないということ、ファンのメッセージに勇気づけられたということが書かれていた。

夫に見せたら、ひとしきり読んで、「僕はASKAさんを信じるよ」と言った。クロだろうと言い続けていた夫がそう言ったので、私は分からなくなった。何が本当なんだろう。

ただ、少なくともASKAさんがファンのメッセージに励まされたというその気持ちは、本物なのだろうと思えた。

私は、考えを深入りさせることをやめることにした。

 

4月になって、会報と共にASKAさんのデモCDが届いた。
Be Free。私にはこの曲は、ASKAさんが罪の告白をしていると思えてならなかった。

 

それからの逮捕。
やっぱりという一言では言い表せないような、落胆や悲しみそしてよく分からない混沌とした感情が身体中にめぐった。何もしたくなくて、何も食べたくなかった。

 



逮捕のニュースから3日後。

私は一つの命をなくした。

この間まで、確かに見えていたはずの小さな鼓動が、なくなっていた。

流産です、と告げられた。

どうして。やっと授かった命なのに。
どうして、こんな時になの。

決まっていたことなのかもしれない。避けられなかったことなのかもしれない。

でも、このタイミングで起きるにはあまりに重くて悲しすぎて、身体が受け止めきれなかった。


その数日後は夫の誕生日で、なんだか半ば義務のように、私達は二人で食事に出かけた。もう動いてくれなくなった、小さな身体も一緒に。

緑が丘の、お気に入りのレストラン。
涙ばかりが、こぼれた。


ほどなくして、私は病院の手術台の上にいた。小さな命とお別れの日。いち、に、さん…数字を数えるごとに、意識が遠のいていった。

術後、麻酔がまだ効いて身体がふわふわした気分の中、私は夢を見ていた。たくさんの小人のような人達が、横たわる私の世話をしてくれていた。そして桜の咲く頃に、子供がまた戻ってきてくれることを教えてくれた。
とても大きな救いだった。

それでも、空っぽのお腹はやっぱり悲しくて、ASKAさんも遠くにいってしまって、どこかに行ってしまいそうな自分の心を身体に繋ぎ止めておくのは思ったよりも大変だった。


だんだん身体が回復して日常を取り戻しかけていたら、6月に入ってすぐ、今度は祖母が亡くなった。
また、お別れだ。

そうして落ち着く間も無く、6月下旬には転勤が決まった。夫の会社人生で初めての転勤。

わずかな間に色んなことが起きすぎて、目まぐるしかった。
始まりの出来事が、とても重くのしかかっているようだった。

ASKAさんは今どんな風に過ごしているのだろう。毎日思いながら、東京での残りの日々を過ごした。

 


釈放はいつになるのか、毎日ニュースが気になっていた。

7月1日は娘の3歳の誕生日で、夫は、この日から一足先に静岡に住み始めた。ASKAさんはまだ、釈放されなかった。

待ち続けたその日は、7月3日の夕方にやってきた。私はテレビの画面にじっと見入ってその時を待っていた。

 

まさか、こんな姿のASKAさんを見ることになるなんて。

大好きなASKAさんが、こんな形で世間に注目されるなんて。

耐えがたい。
けれど見届けなくては。

 

湾岸署から出て、一礼するASKAさんを複雑な思いで見つめた。

アナウンサーが、ASKAさんが言葉を何も発しなかったことにとても驚いていた。それは真っ当な反応なんだろうと思った。でも私には、そんなASKAさんが至極想定の範囲内に思えた。

それ以上に、私がその時思ったのは、こんなことになってしまっても、ASKAさんはきちんとスーツを着て、ネクタイ姿で、髪の毛も整えられていて。その状況を作って下さった方達に、私は心底感謝した。その方達の想いに泣けて仕方なかった。



その後、ファンクラブは休止となった。
なんだか突然、置いていかれてひとり取り残されてしまったような気がした。

これから、どうしたらいいのだろう。
何を拠り所にしていけばいいのだろう。
ASKAさんの言葉は、どこで聞けるのだろう。
ASKAさんは、どこへ行ってしまうの。


混沌とした思いの日々で、考える度に思い起こす言葉があった。alive in liveでASKAさんが言っていたこと。

「50歳を前に控えて、自分が生まれてきた意味や人生の答えの輪郭が見えてきている。どこかで受け入れる気持ちと、こんなところで自分の人生決められてたまるかっていう気持ちがいったりきたりする」

そう言って"ここは途中だ"と歌ったASKAさんが思い描いていたその後は、こんなことじゃなかったはずなのに。どうしてこうなってしまったの。

どうして、どうして。

そんな思いが、ぐるぐる渦巻いていた。

 

二人の音楽を聴けない日々が、この後長く続いた。