Album 「Too many people」

 

音楽を言葉にして表現するのはとても困難なことのような気がする。目に見えないものだから?そうかもしれない。でもそれに加えて、音楽はたやすく言葉にしてはならないような、神聖なものという気さえしてしまう。感動が大きいと、なおさらに。
 
私は音楽を語るのに十分な言語を持ち合わせていないから、Too many peopleを語るとなると考え込んでしまう。それに、まだ色んなことに、答えを出したくはない。とはいえASKAさんの放つ音楽は私にとって特別な振動となって共鳴するのは確かで、その気持ちを言葉にしておきたいとも思う。
 
このアルバムをポストで受け取った私は、意外にも冷静だった。するするとテープを開けて、歌詞カードを取り出してクレジットを見て、くすくすと笑った。
 
そうして何日かかけて曲を聴いて、このアルバムの置かれた境遇に想いを馳せてみると、一言では言い表せないような気持ちが込み上げてきた。アルバムをこうして手に出来たこと自体がなんだか奇跡みたいで、開けてみればそこにはASKAさんのたくさんの想いとくぐり抜けてきた景色が詰まっていて、ASKAさんを想う仲間たちがいて。全てを抱きしめて戻ってきてくれたASKAさんに、心からのおかえりなさいとありがとうを伝えたい気持ちになった。
 
そしてこの作品には、例えば村上春樹氏の言葉を借りるなら、「インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない」というメッセージがとても当てはまる気がした。
 
温度の差なく並んだ意見たちはインスタントに使い回され、そのうちコピーしているのは文字なのか思考なのか分からなくなって、どれが借り物でどれが自分のものなのかの区別もつかなくなってしまう。そんな中に私たちは身を置いている。
 
でも、「Too many people」という物語はね。
ちっぽけな言葉の棘は歩けば落ちるように、桜の花は必ず散るように、 落ちるものは落ちて、物語が聴く人の心に深く染み込んでいき、 時間を超えて存在し続けていく。成長もする。 そういう力を持っているのだろうな。
ASKAさんだけがくぐり抜けた景色と想いが、ASKAさんの体温を持ってそこに流れている。それは可変できないもの。
 
そんなことを思いながらアルバムを聴いて、やっぱり時間に間に合わない僕にほっこりしたり、澄み渡る空のどこか、いつか、歌声を聴けるかなって思ってみたり、夕暮れに伸びる影に自分をはかってみたり。いろんな想いを抱きながら、ただ感じることに、身を委ねてみた。

 

このアルバムは私にとってまだ、気が置けない関係、というわけにはいかなくって、聴く時は少しの緊張とかしこまった雰囲気が漂う。何かをしていても、聴き流せるほどではなくて、だんだん居ずまいを正し、正面向いて身体で音を受け止める。どうしても、一緒に探したいものがある。
 

これだと思って決めた道を歩いていると、だんだん心細くなって引き返したくなったりする。違う道も歩いてみるけど、つまずいてすりむいて、これも違ったかもしれないと思ってしまう。
 
進むところが分からなくなって、たまに立ち止まって考える。

私は、私の約束を果たせているのだろうか。

忘れたままだと、どうなってしまうの。


気付かないことばかりで途方にくれてしまうけれど、それでも時々、席を譲ってくれる位の偶然のような出会いが、やっぱり約束だったのだろうと思える時がある。
 
歩いている時はそんな風に思えなくても、縁ある人を巻き込みながら、訪れる季節を抱きしめながら歩んだ道は、とても埃っぽくてとても揺れていたとしても、いつしか振り返ってみたら、きっとそれは円を描いているんだろうな。

 
一行ずつ、どうして涙がこぼれるの。

私は、約束を思い出せるのかな。

いつか、戻って来た時の私には、どんな景色が待っているのだろう。そこにASKAさんは、いてくれるのかな。
 
いつだって、分からないことだらけのまま朝を迎えてしまうけれど、この不自由さを、もうちょっと楽しんでみようかなと思わせてくれた物語に、どうもありがとう。

 

いつも温かな繋がりを感じさせてくれるASKAさんに、たくさんの感謝を込めて。