理由

時々、あの空に消えた飛行機のことを考える
星になったあの人達を想う

やりきれないほどの気持ちというものを想像してみる
どんなに上を向いてもこぼれてしまう涙のことを思い浮かべてみる

どうしようもない位受け入れ難いことにも
出口の見えない苦しみや孤独にも
理由があってほしい

前へ進むための、理由があってほしい
生まれ出ることと同じ位の不可欠が存在するのだと確かめたい

 

何もかもを知っている星空を見上げてみる

そうしたらね

きらきら瞬く光を見つめているだけで
どうして涙が出ちゃうんだろう

っていう位、分からなくなっちゃったよ

教えてってお願いしたのにね

でもずっと星を眺めていたら
朝を迎えることの理由は分かった気がしたよ

 

イメージ

友人から、レンタルしたBlu-rayが映らないので、試しに何でもいいからBlu-rayを貸してと言われた。

我が家で所有しているBlu-rayはこの方のものだけであります、と言って昭和が見ていたクリスマス!?を差し出した。

先日そのお家に行くと、「やっぱり映らなかったー。私もちょっとASKA観てみたかったよ」と無邪気な笑顔で彼女が言う。

そして、身を乗り出して続ける。

「ねえねえ、それでさ。ASKAの何が良くて好きになったの?曲?歌詞?声?それとも顔?どれ?」

えっ。そんなこと誰かに聞かれたのっていつ以来かしら、この空間でこの話題になるなんて想定外すぎるー。と思いながらも、

「ぜんぶー♡」

と答えたわけなんだけれども。

それから、彼女はスピッツが好きで、スピッツの歌詞もなかなか難しいという話になった。

すると彼女が唐突に言う。

「私ASKAの曲って全然知らないんだけどさー、なんかASKAの歌って、女の人と一晩過ごした次の朝、って感じがしちゃうんだよねー」

きゃー何それ‼︎ ていうか知ってる曲って3曲しか出てこなかったじゃん。チャゲアスと言えばモーニングムーンでしょ、に始まり、SAY YESは知ってる、あと辛うじて「今夜君のこと〜、ニャニャニャニャー」だったけど。

でもその割に、言わんとしていることは分かる気がするよ。

スピッツはね、もっと学生の恋愛みたいな、そういう清々しさがあるの」

えーそうなの!? でもそう言われると、聴き込んだことはないけど、少女とかレンゲ畑が出てきそうなイメージ。そうか、両方とも、言い得て妙かもね。

なんて言って大笑い。

その後は、一連の事件の話になった。これらの出来事に対して友人が持ったイメージは、およそ世間一般が抱いているそれと同じなんだろうなと思いながらうんうんと聞いていた。

でもね、そんな状況になっても、ASKAさんは世にむけて音楽を投げかける、それをする、っていうのが素晴らしいの、と、隣でハイハイって顔をしてる夫と、今にもソファで酔っ払って眠りに落ちそうな彼女の夫を横目に、熱弁を振るう私。

一度染み付いてしまったイメージを覆すのはきっと難しい。でも、歌はそこに見え隠れする作り手の生き様があってこそ響くものだとも思う。ASKAさんは、全てを携えて、新しい魅力として音楽に吹き込んだ。それに気付いた人達が、新たな聴き手となっていくんだろうな。

なんてことを翌日、娘とサーティワンでアイスクリームを頬張りながら考えていたのだけど。

どうしても、昨日のあの一言が可笑しくって思い出し笑いしてしまう。

夜、帰宅した夫に聞いた。

「ねえねえ、昨日のあの例え、どう思う?」

少しの間を置いて、夫はこう言った。

「そうだねぇ、確かに艶っぽいところがあるよね、ASKAさんは。スピッツは確かに清々しいんだよ。」

艶っぽい…

そうかぁ、それって、あれは褒め言葉だったってことね!

なんか楽しくなっちゃった。

みんな大好きありがとう。

それでも、今がいい。

そう思えることに、ありがとう。

700番 第二巻/第三巻

この本を読んで思ったことを改めて書いておこうと思い長々と綴ったのだけど、まるでお堅い論文のような体になってしまったので、やめることにした。

私がここに書き残しておきたいのは、ディテールを分析することでも批評することでもなくて、想い。やっぱり、それだけだ。

読み終えて感じたのは、私は、ASKAさんの真実を、ASKAさんの立場で感じることが出来たと思った、ということ。

一つだけ書き留めておこうと思うのは、ASKAさんがそこまでしてお茶を提出しようと思い行動し、そのことを本という形で表明した、その一連の出来事を改めて見渡してみて、思ったこと。

それは、1回目の逮捕時に疑問に感じていたことについて。当時、裁判をニュースで見ていて、私は彼女が何故そこまで無罪を主張するのかさっぱり理解出来なかった。ASKAさんが彼女に使ったことはないとするその矛盾も理解出来なかった。700番 第一巻をネットで読んでもその時の私には解を得られなかった。

でも今回の本を読んで、もしかしたらそこには、違う真実があったのかもしれないと思えた。そうしたら、ASKAさんの行動と理由はとても納得がいく。

そうなのかなと思ったら、私もちょっと救われた気がしてきた。ずっと奥底にあって、蓋をしていたわだかまりが解けたような、そういう気がしたから。

信じることが楽さ、なのかな。

私は、ASKAさんが大切にするものを、ASKAさんの真実を、大切にしたい。という気持ち。

だってASKAさんは、私にとって大切な人だから。

分かることの出来る距離を作ってくれて、ありがとう。


ネクタイ姿が変わらず素敵なASKAさん。

お誕生日おめでとうございます。

たくさんの祝福が、ずっと続いていきますように。

音楽と記憶

 

「君の知らない君の歌」を妊娠中に聴いたことをとても後悔していた。ひどいつわりで、その時にリリースされたこのアルバムを、せめてもの気分転換にと思って聴いていたのだと思う。

出産後、何気なくこのCDをかけたら、1曲目のイントロを聴いているうちに、説明のつかない吐き気というか、波のようなものがやって来て、あのつわりだ、と気付いた。

だから二人目の時は、音楽を聴かないことにしていた。君の知らない君の歌は、5年以上経ってやっと聴けるようになった。音楽と記憶というのは思っているよりも強固らしい。


そんなわけで、Too many peopleが届いていざ聴くとなった時、気がかりな曲があった。

Be Free

この曲を、私はどう聴くことになるのだろう。

3年前にこの曲を初めて聴いた時、私は何かとても重大な告白をされたような気がして、重苦しい気持ちになった。

それから間もなくの事件。

連日、テレビでこの曲が流れているのを、呆然と眺めていた気がする。

それ以来、一度も聴くことはなかったし、手に取る勇気もなかった。

でも先日YouTubeで新曲を聴いていたら、自動再生機能でこの曲が流れてしまった。イントロがないから、すぐに歌が聞こえて来る。一瞬で色んなことが、感情が、フラッシュバックしてきて、耐えられなくて止めてしまった。

 

そして昨日。深呼吸をしてから、この曲を聴いてみた。

涙しか出てこないよー。

私、何に泣いているんだろう?

やっぱり、思い出してしまう。あの時のこと。あの出来事は、やっぱり辛かったな。今はすっかり平気なはずなんだけどね。あの時は、泣けて泣けて仕方なかったな。ASKAさんは、あの時、どんな気持ちでこの曲を作ったんだろうな。私達に、何を伝えたかったんだろうな。

涙の理由を問うことをやめてみたら、色んな想いがあふれてきた。

こんなことになってしまったのは、きっと、そうならなければならなかったんだろうけど、ASKAさんは一体どんな荷物を背負っていたんだろう。私も、そこにいることになっていたのかな。私にとっては、どんな意味があるんだろう。結構こたえたけど、そうか、ASKAさんはもっと涙を流してるよね。

こんなに痛い思いをしないといけないなんて、過酷だな。そうまでしないとならないものがあるなんて。ASKAさんは、ASKAさんは、大丈夫なんだろうか。

 


あれから3年近く経ったんだ。

どうやってここを切り抜けた?

ASKAさんが私に明日があることを教えてくれた。

不思議なことも、あるね。

生まれるということ

 

街で小さな赤ちゃんを見かけた。
きっとまだ生まれて数ヶ月の、首も座っていない赤ちゃん。

その愛くるしさに胸がきゅんとしながらちっちゃな赤ちゃんを見つめていたら、ごく自然に、おかえり、という気持ちが沸いた。また生まれてきてくれてありがとう、と。

人の一生で、生まれてくることほど大変なことはないんじゃないかと私は思う。いくつもの奇跡を経て身体を持ち、いざ外の世界へ出てくる時の苦しみと言ったら。

相当な難産でなかなか出てこられなかった娘がやっと生まれた時、私も辛かったけれど、出てくる本人はきっとそれ以上に大変な思いをしたのだろうと思った。「生まれる時頭をつかまれて痛かった。だから生まれた時頭ボッサボサだったでしょ?」なんて娘は言っていたけれど。

そうして生まれたらしばらくは、身体の自由も言葉の自由もないまま、生きることの全てを周りの人に委ねなくてはならない。お腹が空いたと泣いても、抱いて欲しいと叫んでも、母親がすぐに来てくれるとは限らない。動けるようになったら今度は、親の不注意で高いところから落ちて痛い思いをしたり、理不尽に叱られたり、散々な目にあうかもしれない。娘のように。

身体を持たない安らぎの中で過ごして来て、また肉体を持ってこの世に降りてくるというのは、どんな心境だろう。

重い身体をまとって、また痛みや孤独や絶望を味わうかもしれないのに、肉体を持つが故の苦しみを経験するかもしれないのに、それでも生まれることを私達は選択してきた。

そう思うと、目の前にいる我が子や小さな赤ちゃん達は、強い勇気を持って、意を決して生まれてきてくれたんだなと思わずにはいられない。深い尊敬の念さえ抱いてしまう。ついこの間までは、身体を持たない魂として私達を見守ってくれる存在だったのに。

そんな可愛い子供達だって、いつか、深い痛みや、やりきれない孤独と絶望を知る時が来るかもしれないと思うと胸が苦しくなる。

そうなった時に、何がしてあげられるのだろうと思ったら、

人はやっぱり、愛の力で歩いていけるんだろうなって思った。

私達は、愛を知るために、生まれてきた。

近くの人にも、遠くの人にも、ASKAさんにも、想っていれば、きっと届くから。

全てが、上手くいきますように。

いつの日か生まれて来る私達が、
もっと愛に近づけますように。

伝わってきたこと

 

朝はここ数年ずっとテレビ朝日な我が家だけど、今朝は久々に、めざましテレビを観てみることにした。

テレビをつけるとちょうどASKAさんのニュースをやっていて、昨日の放送を福岡で観た人30人に、尿とお茶をすり替えた理由について納得できるかとアンケートしたところ、納得出来ると回答したのは1割だった、と紹介していた。

そんなに少ないんだ、へぇー、とちょっと驚いた。でも考えてみれば一緒にいる夫だって、色々なことが腑に落ちていない様子だし、このことについて話をした人も、そんな感じだった。世間の反応は、それが普通なのかなと思った。

確かに、これまでを振り返ると、結果的に本当ではないこともあったし、それを裏切りと取る人もいたと思う。信じるかと迫られたら、本当のところは誰にも分からない。

でも私は、分からないことは知らなくてもいいと思う。それよりも、これは間違いなく本物だと伝わってくるものを大切にしたい。ASKAさんの後悔の気持ち、全てを必要なことだったと受け入れ前を向いて歩き出している姿、失うことのない音楽への情熱。昨日のASKAさんの姿に、私はこれらを確かに感じ取った。それだけで、充分だと思った。

と書いて、夫の所感にそうだよねぇと言っていた自分とのバランスを取ってみる。書くということは、自分と自分をとりまく物事との距離を確かめること。本当にそうだな。

ASKAさんもきっと、距離感を確かめながら、少しずつ前へ進んでいくのだろうな。
ASKAさんの想いが、歌が、伝わっていきますように。

ASKA CONCERT TOUR 2009 WALK

 

過去のライブDVD、何があったかなと取り出して眺めていて、気付いたことがあった。

どのライブをどこの会場で観て、どんなエピソードがあったかをすらすら思い出せるのに、WALKツアーだけは、全く記憶がない。DVDも、ほとんど観たことがなかった。なんでだろう。

気になってチケットを探してみたら、大宮、仙台、NHKホール2回と、4公演も参加していた。仙台まで行ってたなんて、全く思い出せなかったし、シューティングライブにも参加していたなんて、すっかり忘れていた。

何故4回も行ったのだろうとしばし考え、そうだ、このツアーは解散報道からの無期限活動休止を発表した後のツアーだったから、ASKAさんがどんな言葉を発するのか、ただならぬ関心があったんだという解に至り、

いざ行ってみたら、ASKAさんは「アイツが全部悪いんです」なんておちゃらけてたんだった。喋りが絶好調で、これはDVDに一体どう収録されるのかしらと思っていたらバッサリ切られていて、残念なの半分、まぁそれもそうだよねと思ったの半分だったことを思い出した。

でも肝心のライブのことを、ちっとも思い出せないので、久々に観てみることにした。

観ているうちに、そうだこの曲の前にキックス君が出てきたなとか、帰宅のエピソードを聴いて、この曲が大好きになったんだった、と記憶が蘇ってきた。

そうして後半、ASKAさんがだんだん声を振り絞るように歌っている姿に、見ている私まで、呼吸が浅くなってきた。

そうだった。私はここで、祈るような気持ちで、心の中で声援を送り続けていたんだった。たくさんのお客さんと一緒に。

そこには、何も寄せ付けない気迫と魂だけが存在しているようだった。でも、澤近さんがASKAさんに送る眼差しにはいつも以上に気持ちが込められている気がしたし、メンバーの熱い演奏から、ASKAさんへの気がこれでもかというくらい伝わってくる気がした。

パフォーマンスとしては不本意だったかもしれない。けれどここに確かに流れていたであろう気や念というものを想像すると、本当、また泣けてしまう。


色んなところをくぐりぬけて来たんだなぁ。ASKAさんも、私達も。

それぞれの人にとっての様々な想いや苦悩があって、それは時に姿かたちを変えて心を曇らせることがあったかもしれない。でもそれらを経て、今また共有出来る景色があるというのは、幸せなことだなと思う。

クロスワンって、言ってみようかな。

なんて、ライブ後の余韻に浸りながら思ってみたりした。