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25年分のラブレター

ASKAさんへの想いや思い出を綴るブログ

あの日とそれから 2

 

やり場のない気持ちを、慌ただしい引っ越しの準備が紛らわしてくれた。合間を縫って、日々友人達と会い別れを告げた。時々ASKAさんのことで私を心配してくれる人がいたけれど、なんだか何にも上手く言えなかった気がする。

夫に遅れて7月の終わり、静岡市での新たな生活がスタートした。

間も無くして、つわりがはじまった。

そのつわりは今回もとても重くて、私は一日中起き上がれない日々が続いた。

それでも裁判の行方が気になり、テレビやネットニュースを毎日追っていた。

衝撃的なことばかりが目に入ってくる。知りたくないという気持ちがある一方で、これらが世に放たれている以上、目を背けるわけにいかないという気もした。

そして知ることも辛いけれど、これらを世間に知られなくてはいけないASKAさんの心境を想像すると、もっと辛かった。

私は一日中、暗い部屋に突っ伏して過ごした。事件も、つわりも、新しい家も土地も、何もかもがいやになりそうだった。

ただ日々が過ぎていくのを、ひたすらにやり過ごしていた。

 

 

2015年4月。息子は、誰かが夢で教えてくれた通り、桜が満開の中生まれてきてくれた。

新しい生命の神秘に、心奪われる日々が始まった。

二人の音楽を、聴けない日々から、聴かない日々に変わっていった。不思議な位、聴きたいという欲求が起きなかった。

夫が時折、「本当に聴かなくなったね」と言った。
「そうだね」と私は返した。

 


それから、どの位経った時だろう。季節がもうすっかり変わっていたある時。
車で家族で遠出した時に、夫が何の前触れもなく、突然ASKAさんの曲をかけた。

「月が近付けば少しはましだろう」だった。

イントロが流れて、驚きととともに、涙が止まらなかった。知らないうちに心の奥底に溜まっていた感情が溢れ出していた。

私は、ASKAさんの音楽を欲していることに気付いた。頭で考えていることとは別のところで、聴きたがっていたようだった。

空白の日々を埋め合わせるように、それから毎日、ASKAさんの音楽で身体をいっぱいにしていった。


2016年の年が明けて間も無く、ASKAさんが700番という名の手記を発表したとニュースで知り、すぐに見た。冒頭の謝罪とASKAさんの言葉を泣きながら読んだ。やっとASKAさんの言葉を聞けるんだ。

でも、明け方までかかって読み終えた私は、茫然としていた。何が何だか分からなかった。恐怖さえ感じてしまった。盗聴は事実なのか、薬物の影響なのか、私にはとても、判断がつかなかった。

もしかしたら、ASKAさんはとても深刻な状態なのかもしれないと思った。もうASKAさんの姿を見られなくなることを、覚悟する必要があるのかもしれないという考えが頭をよぎった。それはとても辛いことだけれど、その時の私にはそれ位、そう思えてしまうものだった。

複雑な想いをまた抱えることになってしまった。この気持ちにどう折り合いをつけたら良いのか、考えても答えが出なかった。


それから半年経った7月、ASKAさんがまたブログを開設したと知り、とても驚いた。訪れてみると、そこには確かにASKAさんの言葉があった。

ASKAさんの生の言葉を聞けるという素直な喜びの反面、葛藤もあった。まだ色々と腑に落ちていない、わだかまりのようなものがあったから。裁判の主張の食い違いや、盗聴のこと、病気ではないとする主張。そういったもの。

でもブログ開始から数日後、ASKAさんの姿をテレビで見て、私の心は大きく揺れ動いた。2年振りに見る、ASKAさんの姿。ずっと大好きで、その音楽を愛して、姿を追い続けてきた人。何か、突き動かされるものがあった。

私もブログを書いてみることにした。自分の気持ちを、どうしても書き留めておかなくてはならない気持ちになっていた。ただその時の私には、現在起きていることについての想いを綴るには、あまりにも自分と出来事との距離がまだ、掴みきれなかった。だから過去の思い出を、少しずつ振り返っていくことにした。

 

日々更新されるASKAさんのブログをどきどきしながら読んだ。ASKAさんの言葉から、景色や色を感じ取ってみたり、時折想いをコメントという形で言葉にして行く中で、自分の中にあった、色々なわだかまりが消えていくのを感じていた。言葉には不思議な言霊がある。表現した通りに、自分がなっていく。


11月に入った頃、私はこの逮捕からの一連の出来事について少しずつ文章に書き出して、一通り完成した。

その時々の様々な感情や葛藤を思い出しながらもそれに向き合い言葉にすることで、それらが浄化していくのを感じた。書くことで癒されるものってあるんだなと思った。

でもしばらくして読み返したら、ふと気付いたことがあった。

私は、ASKAさんの事件でとても悲しい思いをしたけれど、ASKAさんにとってはどうだったのだろう?

ASKAさんは、どれだけの涙を流したのだろう。

どれだけの、孤独と苦しみを味わったのだろう。

どれだけ後悔して、心を引き裂かれて、傷付いたのだろう。

ASKAさんにも、同じだけの悲しみがあったのだと、私はそこで初めて思い至った。

過ちを責めることは簡単だけれど、私にはもし自分だったらと想像することさえ出来ない。

前を向いて歩くことは、どれほどの勇気が必要なんだろう。

こんなに苦境に立たされても、ASKAさんは全てを背負って立ち上がり、また歩き始めようとしている。

そんなASKAさんを心から応援したいという気持ちに変わりはないけれど、私はもしかしたら、大切なことを見落としていたのかもしれない。

それって何なんだろう。しばらく考えを巡らせていたら、ふいにその頃良く聴いていた、めぐり逢いのフレーズに心を掴まれた。


恋で泣かした人と 恋で泣かされた人
同じ罪を振り分けてもいいね いいね


同じ罪を、悲しみを、振り分けてもいいよね。そう思ったら、夜じゅう涙が止まらなかった。気付かなくって、ごめんねって思った。

一緒に生まれあって、幸せを分けあって、悲しみあえる私達。
そういう私達でいたいと思った。

ASKAさんのことで悲しんだのに、どうしていつも、ASKAさんの歌や言葉に救われるんだろう。ASKAさんも、そういうことってあるのかな。

 


この文章は、11月28日にアップするつもりでいたけれど、その日、ASKAさんの2度目の逮捕があって、長い間行き場を失ってしまった。その後に続いたたくさんの出来事と経験を経て、今やっと送り出せる時期を迎えられた気がする。

 改めて振り返ってみて、そこにはやっぱり、通らなくてはならない道があって、果たさなくてはならない約束があったのだと思う。ASKAさんにも、私達にも。

肉体を持って生まれて、痛みを感じることが必要だったから、その出来事は起きた。様々な困難に立ち向かいながら、返さなくてはならないものを、ひとつずつ返していく。次の場所へ行くために。

学びというのは、誰かに教えられるものではなくて、自らの体験を伴って体内に刻まれた時に、はじめて自分のものになるのだと思う。そこを今私達は、くぐり抜けている。

 

きっとみんな、最後に辿り着くところは同じ。愛に近付いていく。

また、ASKAさんの歌詞を借りちゃったよ。

たくさんの学びに、やっぱり私はただ感謝の気持ちしかなくて。

ASKAさん、どうもありがとう。

あの日とそれから 1

 

もうすぐ3歳になる娘が、みんなとブランコを取り合っては揺らしていた。

5月の春の陽気が気持ちの良い土曜日の朝だった。私達は、保育園の懇談会に参加して、終わるとみんなで近くの公園に向かった。思い思いに遊び回る娘と子供たちを、夫と微笑ましく眺めていた。

私達家族は一足早く皆に別れを告げ、近くのお店で昼食をとることにした。上池台の、のんびりした商店街。ちょっと早いけど、冷やし中華が食べたかったんだ。2014年5月17日のその日は、お昼前にはもう陽射しがとっても強くて、公園で太陽をいっぱい浴びた私達は、暑いくらいだった。

お店に入ると、お客さんは私達の他に家族連れが一組だけで、がらんとして静かだった。食事が運ばれて来て、私は視界の正面にあったテレビをなんとなく眺めながら、食べ始めた。

まったりと流れていた時間が、ニュース速報によって突然遮られた。

 

"CHAGE and ASKAASKA容疑者を覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕" 

 

えーーーーーっ?
えーーーーーっ。

何度言ったか分からないくらい、一人連呼してしまった。

隣の家族がテレビ画面を見ながらヒソヒソ話している。

友人がこのニュースをすぐにFacebookに投稿したようで、それを読んだ別の友人が、私の名前をタグ付けてそこに書いたコメントの通知が来た。

「Romi、やっぱり本当だったんだ…」

そんなこと、私、知らないけど。

やっぱり本当、だったんだ。

 

前年の夏に記事が出た時、きっとその通りなのだろうと思っていた。とてもショックだったけれど、ASKAさんも一人の人間だったのだと思って受け入れようとしていた。

でもその後、ファンクラブの会報でのASKAさんのメッセージを読んで心が揺らいだ。違法なことは一切やっていないということ、ファンのメッセージに勇気づけられたということが書かれていた。

夫に見せたら、ひとしきり読んで、「僕はASKAさんを信じるよ」と言った。クロだろうと言い続けていた夫がそう言ったので、私は分からなくなった。何が本当なんだろう。

ただ、少なくともASKAさんがファンのメッセージに励まされたというその気持ちは、本物なのだろうと思えた。

私は、考えを深入りさせることをやめることにした。

 

4月になって、会報と共にASKAさんのデモCDが届いた。
Be Free。私にはこの曲は、ASKAさんが罪の告白をしていると思えてならなかった。

 

それからの逮捕。
やっぱりという一言では言い表せないような、落胆や悲しみそしてよく分からない混沌とした感情が身体中にめぐった。何もしたくなくて、何も食べたくなかった。

 



逮捕のニュースから3日後。

私は一つの命をなくした。

この間まで、確かに見えていたはずの小さな鼓動が、なくなっていた。

流産です、と告げられた。

どうして。やっと授かった命なのに。
どうして、こんな時になの。

決まっていたことなのかもしれない。避けられなかったことなのかもしれない。

でも、このタイミングで起きるにはあまりに重くて悲しすぎて、身体が受け止めきれなかった。


その数日後は夫の誕生日で、なんだか半ば義務のように、私達は二人で食事に出かけた。もう動いてくれなくなった、小さな身体も一緒に。

緑が丘の、お気に入りのレストラン。
涙ばかりが、こぼれた。


ほどなくして、私は病院の手術台の上にいた。小さな命とお別れの日。いち、に、さん…数字を数えるごとに、意識が遠のいていった。

術後、麻酔がまだ効いて身体がふわふわした気分の中、私は夢を見ていた。たくさんの小人のような人達が、横たわる私の世話をしてくれていた。そして桜の咲く頃に、子供がまた戻ってきてくれることを教えてくれた。
とても大きな救いだった。

それでも、空っぽのお腹はやっぱり悲しくて、ASKAさんも遠くにいってしまって、どこかに行ってしまいそうな自分の心を身体に繋ぎ止めておくのは思ったよりも大変だった。


だんだん身体が回復して日常を取り戻しかけていたら、6月に入ってすぐ、今度は祖母が亡くなった。
また、お別れだ。

そうして落ち着く間も無く、6月下旬には転勤が決まった。夫の会社人生で初めての転勤。

わずかな間に色んなことが起きすぎて、目まぐるしかった。
始まりの出来事が、とても重くのしかかっているようだった。

ASKAさんは今どんな風に過ごしているのだろう。毎日思いながら、東京での残りの日々を過ごした。

 


釈放はいつになるのか、毎日ニュースが気になっていた。

7月1日は娘の3歳の誕生日で、夫は、この日から一足先に静岡に住み始めた。ASKAさんはまだ、釈放されなかった。

待ち続けたその日は、7月3日の夕方にやってきた。私はテレビの画面にじっと見入ってその時を待っていた。

 

まさか、こんな姿のASKAさんを見ることになるなんて。

大好きなASKAさんが、こんな形で世間に注目されるなんて。

耐えがたい。
けれど見届けなくては。

 

湾岸署から出て、一礼するASKAさんを複雑な思いで見つめた。

アナウンサーが、ASKAさんが言葉を何も発しなかったことにとても驚いていた。それは真っ当な反応なんだろうと思った。でも私には、そんなASKAさんが至極想定の範囲内に思えた。

それ以上に、私がその時思ったのは、こんなことになってしまっても、ASKAさんはきちんとスーツを着て、ネクタイ姿で、髪の毛も整えられていて。その状況を作って下さった方達に、私は心底感謝した。その方達の想いに泣けて仕方なかった。



その後、ファンクラブは休止となった。
なんだか突然、置いていかれてひとり取り残されてしまったような気がした。

これから、どうしたらいいのだろう。
何を拠り所にしていけばいいのだろう。
ASKAさんの言葉は、どこで聞けるのだろう。
ASKAさんは、どこへ行ってしまうの。


混沌とした思いの日々で、考える度に思い起こす言葉があった。alive in liveでASKAさんが言っていたこと。

「50歳を前に控えて、自分が生まれてきた意味や人生の答えの輪郭が見えてきている。どこかで受け入れる気持ちと、こんなところで自分の人生決められてたまるかっていう気持ちがいったりきたりする」

そう言って"ここは途中だ"と歌ったASKAさんが思い描いていたその後は、こんなことじゃなかったはずなのに。どうしてこうなってしまったの。

どうして、どうして。

そんな思いが、ぐるぐる渦巻いていた。

 

二人の音楽を聴けない日々が、この後長く続いた。

寄せて返す波のように繰り返すもの

 

私は時々不思議な夢を見るけれど、今年に入ってから何故か、判を押したように月に一度、ASKAさんが私の夢に現れる。

その日の夢では、とても穏やかな笑顔のASKAさんがふいに私の前に現れた。夢のとても浅いところにいた私は、4月のASKAさんの夢はもう見たはずなのになんでだろうと思い、目覚めてそうだ、今日から5月だったんだと気付き、月の変わりを知らせてくれた夢に、朝から幸せな気持ちになった。

そしてその時の夢の中では、信じることが楽さが流れていて、私はこの曲を文字通り、聴きながら目覚めたという感覚でいた。

音楽がリアルに聴こえてくる夢ってあったかな、なんて思いながら、起きてもこの曲が頭から離れなくって、久々にじっくり聴いてみた。

「忘れてしまった遠い約束事を
誰に謝れば僕はいいのか」

このフレーズに、何度泣いたっけなって思い出した。だんだん普通に聴けるようになっていたけれど、夢の間に心に何か起きたのか、しんみり、またぐっときた。

そうして思いにふけってみたら、やっぱり、思い出すための道というものがあって、思い出すために私達は歩いているのかなと思えてきた。

歩いている中で、時々、遠い日の自分に向かって声をかけて、抱きしめることが出来たらいいなと思う。


私にとってのASKAさんの存在とはなんだろうと思うことがある。私の日常に、物理的には存在しないのに、音楽を超えて、影響を受けていると感じるのは、何故なんだろう。

振り返ってみれば、私はつくづく、ぼんやりしたファンだったなぁと思う。

SCENE IIIを3枚も購入したのにそのアルバムの良さが分かったのは10年以上経ってからだし、各地でライブに行ったわりに記憶からすっぽり抜け落ちているものがあるし、ファンレターだってたった一度しか書いたことがない。

ASKAさんが歌詞カードにない歌詞を歌っているとブログに書かれていても何のことだかさっぱりピンと来なかったし、ASKAさんのブログをいつも読んでいるけれど、頻繁にコメントをする熱烈さはどうやら持ち合わせていない。

no doubtがサビで転調しているのを数日前、楽譜を見て初めて知ってとても驚いた。これはそんなに良くある転調ではないような気がするけれど、どういう効果があるのだろう。全然気付かずに聴いていたなんて。そしてこの曲は男女の別れの歌で、それをどうしてアルバムのタイトルにしたのだろうとか、このタイトルにはどんな意味が込められていたのだろうと今更になって気になった。

当時はそんなことを少しも考えずに何となく楽曲達を聴いていたような気がして、私は、ASKAさんが歌詞一行に込めた想いや、音に乗せた心というものを、これっぽっちも受け取っていなかったのかもしれないと思った。

そしてアルバムno doubtの後のいつからか、何となく二人の音楽を聴かなくなっていたんだった。夏の肌が消えるように、離れてしまったのかな。ファンクラブも更新しなくて、慶応ライブで再会するまでの数年間、積極的には聴いていなかった。

2014年の事件の後は、随分長い間、曲を全く聴かなくなってしまってたな。

でも、事件があって、そしてASKAさんがブログを書いてくれて、それらがあったからこそ改めてASKAさんの楽曲の素晴らしさに気付くことも出来た。

こんなぼんやりリスナーな私を、長い間引き寄せ続けてくれたASKAさんと、ASKAさんの生み出す音楽は、気付かずとも私に作用して、戻って来られる場所をいつも用意してくれていたんだな。そこにはとても温かくて、心のどこか深いところで大切なものを共有していると感じさせてくれる何かがある。


長きに亘ってそんな存在でいてくれる人がいるというのは幸せなことだなと思いながら、夢のことを思い出していたら、ふと、夢で流れていた曲はどうして「信じることが楽さ」だったのだろうと気になった。アルバムの中のとても好きな一曲ではあるけれど、直近でよく聴いていたわけでも、曲について思いをめぐらせていたわけでもなかったのに。

と考えていたら、思い出したことがあった。夢を見る前日、私は海辺の公園にいて、子供達が波が来るたびきゃーと言って戯れるのを後ろから見ていた。そして打ち寄せる波をぼーっと眺めながら、どうして波は、寄せては返すことを繰り返すのだろうって、ずっと考えていた。

そこに思い至ったら、急に曲と色々なことが繋がってきた。波打ち際のASKAさんに、ありがとうって伝えたくなった。

そして更にもしかしてと気になって、私は何日おきにASKAさんの夢を見ているのだろうと思って、夢日記を見返して平均を計算してみたら、ぴったり28日だった。ねえねえ聞いてよって夫にそのことを話したら、「だから何?」そして「その話、聞いたらすごーい!って言ってくれる人に言えば?」と笑って一蹴されてしまった。うん、そう言うと思ったよ。

でも人に話すにはいささかややこしい話だから、ここに書き留めておこうっと。

なんだか幸せー。
もう一回聴こう。

700番 第一巻

 

この本は確か、3月20日に届いて、翌日から読んで、23日にはざっと所感を書き終えていた。だけどどうも、その書いた文章を読み直したり推敲するのは気が進まなくて、この本について考えをめぐらすとか書き記すというのが何故だかとても重荷なことのように感じてしまった。

第一巻を当初ネットで読んだ時の衝撃と比べれば、その受け止め方は大分変わって、内容を冷静に受け止めることが出来ていた。当時は言い訳のように聞こえてしまった薬をはじめた理由というのも、時間が経って改めて読むと納得出来た気がするし、あの時は、この文章が後遺症の影響によるものなのか私には全く判断出来なかったけれど、そうではなかったのだろうと思えた。

これだけの時間を経て、改めてASKAさんの変わらない主張に触れる、その意味を感じていたと思うのだけど、どうも、読み終えると、なんとも言い表しがたい気持ちになってしまった。

ここに、長くはとどまっていたくないという、そういう気持ち。それは、純粋な読書体験としての性質に起因する何かだったのかもしれないとも思うけれど、考えてもさっぱり分からない。

私はこの本を早々にしまい込んで、他の本を読むことにした。その時の私はあらゆる分野の本を乱読していて、それらが自分の中で繋がってくるのを楽しんでいたけれど、この本を読んだ後は、とてもそんな気分になれなくて、私を受け止めてくれる一冊にすがりつきたい気持ちだった。

目の前にある本達をぱらぱらめくって、これだと思った。村上春樹のエッセイ。職業としての小説家。村上さんの、平易な言葉で書かれたそれは、するすると私の心に染み込んで、何度も共感する場面に出会って、それは深い安堵感を感じる、貴重な体験となった。

そして読み進めていくと、小説を書くのにあたり物事を深く観察し、考えをめぐらせるということについて、村上さんはこう言った。

「「考えをめぐらせる」といっても、ものごとの是非や価値について早急に判断を下す必要はありません。結論みたいなものはできるだけ留保し、先送りするように心がけます。」

「後日、もっと気持ちが落ち着いたときに、時間の余裕があるときに、いろんな方向から眺めて注意深く検証し、必要に応じて結論を引き出すことも出来るからです。」

どうして私にこんなに的確な言葉を投げかけてくれるの。村上さん、ありがとうー。そうだよね、結論をすぐに出す必要なんてないんだよねって、とても心が軽くなった。もう私はどっぷりハルキワールドにもぐり込んで、そこから抜け出したくなくなった。

しばらく、ASKAさんの音楽をそんなには聴かなくて、文章を綴る代わりに本を読んで、子供達とたくさん遊んで、大好きなミシンを取り出して、毎日夕飯をどうしようかと考えて、そんな日々を送っていた。

そうしたらやっぱりだんだん気になってきて、久しぶりに聴いてみたら、なんというか、とても良かった。それはたまたま、no doubtだったのだけれど。
好きだなぁ、この曲も、ASKAさんも、やっぱり。

ようし、今ならまた読めるかもしれないと思って、第一巻をどこに置いたかしばらく探し回るところから始め、見つけて開いてみた。

そうしたら、なんでだろう、やっぱり読めなかったのだけれど、当初書いた自分の所感を読み直してみて、その芯となる部分についての考えは変わっていないということは確認出来た。

ずっと考えていた、去年の逮捕のこと。ASKAさんが無実であったならば、一体何故、あんな大事件を経験しなければならなかったのだろう?逮捕されたことも、メディアの行動も、釈放も、あれは一体何だったのだろうと思ってしまう。

ASKAさんは700番第一巻の前書きに、この本には、第ニ巻/第三巻での行為にたどり着いた理由が書かれている、と述べていた。

私はそれをとても理解出来たと同時に、この一連の出来事は、彼女の無実を証明するために、ASKAさんが身を持って体現したという出来事だったのかもしれないと思えた。

この二回目の逮捕があって、その経緯と理由をASKAさんが説明する機会があって、それを知ることで、私ははじめて、ASKAさんの第一巻の主張を理解することが出来たのではないかと思う。だから、そういう意味においては、必要な出来事だったのかもしれない。

でもすっきりしなかった気持ちのその正体は、まだ分からない。ぼんやりそうかもしれないと思うことがあって、それはその女性のことを全ての文脈から切り離して考えた時に思うことと、全体の調和はどこに求めたら良いのだろうという、そこに芽生える自分の中の矛盾。多分そういったものがある。

でも矛盾は誰の中にもあるもの。時に矛盾こそが私達を前に進めてくれているのかもしれない。だからそれはそれでいいのかな。描いた絵を何度でも直せばいい。そこに立ってその時分かることばかりだものね。

not at allが聴きたくなったよー。
今日は、そんな気分。

信じるという意味

 

これまで私は、誰かを信じるとか信じないという風に考えたことがなかったと思う。あえて答えを出すのなら、起きたことのありのままを受け入れる、という考えでいた。

だから、信じることが楽さとASKAさんが言うその意味がいまいちしっくりこないでいた。この歌の一行一行を手に取るように感じることが出来る気がするのに、信じることが楽、という言葉だけは何となく入ってこなかった。曲のタイトルなのに。

 

信じるって、なんだろう?

頭の片隅でぼんやり考える日々を過ごしていたある日、娘の本が目に留まってぱらぱらめくっていた。「こころのふしぎ なぜ?どうして?」という本。

そこに、人を信じるにはどうすればいい?という質問を見つけた。答えはこうだった。「人を信じるには、まず自分を信じる心を持つことが必要です」。

なるほど。相手ではなくてまずは自分なんだ。

そうしてまた考えているうちに、気付いた。信じるというのは、例えばその人が、期待する行動をしてくれることを信じる、ということではないのだと。「信じていたのに裏切られた」は、信じていなかったということなんだ。

信じるとは、その人との関わりの中で、自分に起きること全てを引き受ける、ということなんだな。

そう思えたら、とてもしっくりきた。つまり、おんなじことだ。

 

幼稚園の園だよりに、児童心理学者 倉橋惣三の言葉が紹介されていて目に留まった。

「心もち
濃い心もち、久しい心もちは、誰でも見落とさない。かすかにして短き心もちを見落とさない人だけが、子どもとともにいる人である。
心もちは心もちである。その原因、理由とは別のことである。ましてや、その結果とは切り離されることである。多くの人が、原因や理由をたずねて、子どもの今の心もちを共鳴してくれない。結果がどうなるかを問うて、今の、此の心もちを諒解してくれない。
その子の今の心もちのみ、今のその子がある。」

 

信じる=引き受けるというのは、どれだけその人の心もちに寄り添えたかということになるのかもしれない。そしてそれはどこに行き着くかと言ったら、愛、ということなんだろうな。

学びは本当に深くて果てしない。
一つ知ると、また次のことを知りたくなる。

何回もその道を通ることで、やっと見えて来るものがあるけれど、それでも全てはいつまでたっても見えない。

道はいつでも新しい。私にも。

La La Land

 

「歩かなければ何も始まらない」

音楽と人を読んでから、ASKAさんのこの言葉がずっと頭の片隅にあって、それはじわりじわりと私の歩みにも影響してきているような気配がしていた。

そんな思いを抱く中、一足先に出張中の機内で観てきた夫に勧められて、映画「La La Land」を観に行った。ミュージカル、ジャズ、ピアノ。これはもう、すぐに行かなくっちゃ。

行く前日、泣ける映画かと夫に聞いたら、うーんそういうのではないよ、と言うので気楽に行ったのだけど。誰だそんなことを言ったのは、ティッシュを探すのが大変だったじゃない。

わずか2時間の間に、こんなに笑って泣いて、ワクワクして、何かを始めたくなるエネルギーをもらえるなんて、最高のエンタテインメントだ。

そして映画を観終わってみると、「歩かなければ何も始まらない」という言葉が、「歩けば何かが起こる。そしてそれはきっと、良いことに違いない」という風に私の中で置き換わっていったことに気付いた。

以前、雑誌のインタビューでASKAさんが発した「表現というものは、ポジティブであるべきだと思う」という言葉に私は深く共感して、その言葉を大切にしてきたのだけど、今改めて思った。

在りたいエネルギーを発し続けることで、自身は自ずとその方向に近付いていくし、そういう人や状況を引きつけていく。

だからやっぱり、思ったことしか起きないし、思っていないことは起きない。

そう思ったら、何だか急に、やりたいことがいっぱい出てきた。ミアがくるくると衣装を変えては歌って踊り出すように、私もお気に入りの洋服を着て、足を鳴らして街を歩きたくなった。セブが葛藤の中でも、自分の好きな古き良きジャズを追求する姿に、またジャズを聴きに行きたくなった。この俳優はわずか3ヶ月でピアノをマスターし、映画中の演奏も全て自身のものであると知り、私にも何だかものすごい力が湧いてきた。

久々に自分の観たい映画を映画館で観て、もう一つ思ったのは、やっぱり映画というものは、映画館で観ることで一番その芸術を味わえるように出来ているのだろうなということ。映画なら映画館のフィルムで、小説なら本という形で。

と考えると、音楽はどうだろう。CDは一つの完成された形なのだろうけど、生の音楽からでしか感じられない空気感や息づかい、気のやりとりや、その場所でしか起きない何かがある。音楽は詰まるところ振動であるから、その振動を生で受け止めるのが最高の味わい方なのかもしれない。

ASKAさんとその日を共有するのはまだ少し先だろうから、ASKAさんが準備運動をしている間、私はジャズを聴きに行こう。子供が小さいから夜出歩くのは夫だけだなんて誰が言ったの。誰も言ってなかった。
楽しいことは、何でもやりたい。

Album 「Too many people」

 

音楽を言葉にして表現するのはとても困難なことのような気がする。目に見えないものだから?そうかもしれない。でもそれに加えて、音楽はたやすく言葉にしてはならないような、神聖なものという気さえしてしまう。感動が大きいと、なおさらに。
 
私は音楽を語るのに十分な言語を持ち合わせていないから、Too many peopleを語るとなると考え込んでしまう。それに、まだ色んなことに、答えを出したくはない。とはいえASKAさんの放つ音楽は私にとって特別な振動となって共鳴するのは確かで、その気持ちを言葉にしておきたいとも思う。
 
このアルバムをポストで受け取った私は、意外にも冷静だった。するするとテープを開けて、歌詞カードを取り出してクレジットを見て、くすくすと笑った。
 
そうして何日かかけて曲を聴いて、このアルバムの置かれた境遇に想いを馳せてみると、一言では言い表せないような気持ちが込み上げてきた。アルバムをこうして手に出来たこと自体がなんだか奇跡みたいで、開けてみればそこにはASKAさんのたくさんの想いとくぐり抜けてきた景色が詰まっていて、ASKAさんを想う仲間たちがいて。全てを抱きしめて戻ってきてくれたASKAさんに、心からのおかえりなさいとありがとうを伝えたい気持ちになった。
 
そしてこの作品には、例えば村上春樹氏の言葉を借りるなら、「インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない」というメッセージがとても当てはまる気がした。
 
温度の差なく並んだ意見たちはインスタントに使い回され、そのうちコピーしているのは文字なのか思考なのか分からなくなって、どれが借り物でどれが自分のものなのかの区別もつかなくなってしまう。そんな中に私たちは身を置いている。
 
でも、「Too many people」という物語はね。
ちっぽけな言葉の棘は歩けば落ちるように、桜の花は必ず散るように、 落ちるものは落ちて、物語が聴く人の心に深く染み込んでいき、 時間を超えて存在し続けていく。成長もする。 そういう力を持っているのだろうな。
ASKAさんだけがくぐり抜けた景色と想いが、ASKAさんの体温を持ってそこに流れている。それは可変できないもの。
 
そんなことを思いながらアルバムを聴いて、やっぱり時間に間に合わない僕にほっこりしたり、澄み渡る空のどこか、いつか、歌声を聴けるかなって思ってみたり、夕暮れに伸びる影に自分をはかってみたり。いろんな想いを抱きながら、ただ感じることに、身を委ねてみた。

 

このアルバムは私にとってまだ、気が置けない関係、というわけにはいかなくって、聴く時は少しの緊張とかしこまった雰囲気が漂う。何かをしていても、聴き流せるほどではなくて、だんだん居ずまいを正し、正面向いて身体で音を受け止める。どうしても、一緒に探したいものがある。
 

これだと思って決めた道を歩いていると、だんだん心細くなって引き返したくなったりする。違う道も歩いてみるけど、つまずいてすりむいて、これも違ったかもしれないと思ってしまう。
 
進むところが分からなくなって、たまに立ち止まって考える。

私は、私の約束を果たせているのだろうか。

忘れたままだと、どうなってしまうの。


気付かないことばかりで途方にくれてしまうけれど、それでも時々、席を譲ってくれる位の偶然のような出会いが、やっぱり約束だったのだろうと思える時がある。
 
歩いている時はそんな風に思えなくても、縁ある人を巻き込みながら、訪れる季節を抱きしめながら歩んだ道は、とても埃っぽくてとても揺れていたとしても、いつしか振り返ってみたら、きっとそれは円を描いているんだろうな。

 
一行ずつ、どうして涙がこぼれるの。

私は、約束を思い出せるのかな。

いつか、戻って来た時の私には、どんな景色が待っているのだろう。そこにASKAさんは、いてくれるのかな。
 
いつだって、分からないことだらけのまま朝を迎えてしまうけれど、この不自由さを、もうちょっと楽しんでみようかなと思わせてくれた物語に、どうもありがとう。

 

いつも温かな繋がりを感じさせてくれるASKAさんに、たくさんの感謝を込めて。